カンニングと受験勉強


 大学入試で、インターネットの質問掲示板を使ったカンニングが行われていたことがわかり、ニュースになっています。早稲田や京大などいくつかの大学が警察に届け、現在捜査が続けられています。
 試験を受けている人(A)が何らかの方法で試験問題を外の人(B)に伝え、Bがパソコンでインターネットの質問掲示板「Yahoo質問箱」に問題を投稿し、質問箱に返ってきた答をBがまたAに伝える……という手口のようです。AとBがどうやってやりとりをしていたかが問題なのですが(Aは試験場にいるので怪しいことをすればまずバレる)、今は機械が進歩していて、ペンやメガネに小型カメラが仕込んであって問題文を写して送信するとか、腕時計型の携帯で時間を見るふりをして答を見るとか、メガネの裏側に液晶画面を仕込んで答が映るようにするとか、本気でやろうとすればいくらでも手があって、完全に防ぐのは難しいようです。韓国では2004年に数百人の学生が関わったカンニング事件があって、その後は携帯は持ち込み禁止、試験場では携帯探知用の金属探知機を使って警備しているそうです。日本でも携帯持ち込み禁止を検討するようで、来年の受験では携帯を試験場でとりあげられる可能性があります。
 今回カンニングをした人が本気でその大学に合格しようとしていたのか、単なるいたずら?でやったのかわかりませんが、どちらにしても大学側は対策を打たないといけないし、そこでかかる手間やお金は結局受験生(の保護者)の負担になります。もちろんカンニングそのものも悪いことで、真面目に勉強してきた受験生から見れば、ふざけるな!という気持ちになるでしょう。
 カンニングを弁護する気は全くないのですが、山本はもう少し根本的に考えたいです。そもそも入試って必要なのでしょうか。高いお金や手間をかけてカンニングを防いでまで、本当に試験をしなければならないのでしょうか。
 高校の入学試験はもともと、その高校での勉強についていけるかどうかを試すためのものですが、福岡では推薦入試があって、試験を受けずに合格している人がいます。クラブや生徒会で優秀だったのはすばらしいことですが、それで高校の勉強についていけるという保証はありません。入学試験のもともとの意味はないことになります。
 もっと言えば、高校での勉強についていけるかどうかは、そもそも学校ではなく生徒本人が考えて決めるべきことです。本当は入試などなくして行きたい学校に行けるようにして、自分の責任で学校を選んでみてうまくいけばそれでいいし、ダメなら中退して他の学校に入ればいいのです。厳しい言い方ですが、学校が試験で生徒を試すこと自体が生徒を甘やかしています。試験で合格させてしまうと学校に選んだ責任が生じるために簡単に落第させられず、学校の授業やテストのレベルを落としていくことになり、結果として学力の低い学生がたくさん出ている、という分析もあります。高校入試程度の数学の問題が解けない大学生はたくさんいますが、一番勉強ができなければいけないはずの大学生がこれでは、入試勉強は単なる時間のムダだと言われても仕方ありません。
 成績のいい人が望む高校に入る資格を得る、そのために試験をする、という考えもあります。理屈に合っているような気もしますが、高校や大学はいい成績を取った人のごほうびではありません。高校や大学にはそれぞれ特徴があって、その学校のいいところを利用したいと思う人が入って勉強すればいいので、テストの点で入る人を分ける本質的な意味はありません。
 結局今の日本では、入学試験は「いい成績を取った人が偏差値の高い有名大学に行き、就職などで有利になる」という選別の道具として使われています。もしそのための勉強が将来の役に(あまり)立たないとしたら、入試勉強とカンニングは、生徒の役に立たないという意味ではほとんど変わりがないということになってしまいます。
 山本が強く感じるのは、中学校や高校での勉強の多くが入試のためのものになっていて、それがみんなにとって大きなマイナスになっていることです。
 勉強は本来、面白く楽しいものです。どんな教科にもそれぞれに違う魅力があって、深く知り、深く考えていくほど自然や人間や世の中のことがわかっていくものです。中学では中学なりの、高校では高校なりの「面白い勉強」があります。そういう面白さを教えてもらえず、入試でいい点をとるための勉強で追いまくられると、勉強とはつまらないものだという考えにとりつかれてしまって、オトナになってから本物の面白い勉強をしようという気になれないし、高校までに学んだ勉強の内容も(面白くないので)ほとんど忘れてしまいます。
 今の高校には、勉強の面白さを教えようという先生は少ないかもしれません。山本を含めた先生自身が「入試のための勉強」の中で育っているので、勉強が面白いものだということがわからない先生もいるでしょう。でももう一度書きますが、どんな教科の中にも深く考えていけば必ず面白さが見つかるのです。山本は偶然いい先生に恵まれて理科の面白さを見つけられたので、今でも勉強が楽しいし、他の教科にもそれぞれの面白さがあることがわかります。なんとかみんなにも、そうなってほしいです。点数だけにとらわれないで、なぜそうなるのか、どんな意味があるのか、どう応用できるのか、深く考えることから逃げないでほしいです。どこの大学に行くかより、そういうことができるかどうかの方が、生きていくためには大切だから。(2011/3/2)

注;その後の捜査によって、この事件は受験生の単独犯だったことが断定された。したがって本文の最初の説明はまちがっていたことになる。試験中に携帯を打つのを見逃していた試験監督のルーズさはとがめられるべきだろうが、この文章で言いたいことには修正の余地がない。


通信の一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system inserted by FC2 system