未来はどこにあるか
生きものの行動を表す生物学用語で、刷り込み(imprinting)という言葉があります。初めて経験したことが長く頭に残るという意味です。たとえば多くの鳥は、生まれたときに初めて見た動くものを親だと思い込み、ずっとそれについていこうとします。アンデルセンの童話『みにくいアヒルの子』はつくり話ですが、生まれたときたまたまアヒルの親を見てしまったハクチョウのヒナが、自分をアヒルだと思い込んでついていくという話は実際にあり得ます。
人間でも初めて経験することはなかなか忘れないし、無意識のうちに「初めて経験したことが、それ以外のことよりも正しい」と思い込むことがあります。山本は小さいとき保育園で毎週まずいうどんを食べさせられたせいでうどんが嫌いになり、長い間うどんを食べませんでした。結婚してから妻においしいうどん屋に連れていってもらい、何度も食べるうちにやっとうどんのおいしさがわかるようになり、今は毎週ウエストでうどんを食べています(本当)。
みんなにも、初めての経験が心に強く残っていることがあるでしょう。中学での最初の英語の授業が面白かったから英語が好きになったとか、はじめの印象が悪かったからあの人とは友人になれないとか、学校ではみんな制服を着ていたからそれが当たり前とか(日本にも制服のない高校はたくさんあります)。思いあたりませんか?
誰でも何かを考える時に、まず自分の経験を元にしようとします。山本だってみんなに、自分は(最初は)こうだったから……という話を何度もしてきました。でももちろん、それがいつでも正しいとは限りません。ハクチョウのヒナがたまたまアヒルの親を最初に見たからといって、アヒルをお母さんだと思うのはまちがいです。それと同じように、みんなや山本が何かを最初に経験したからといって、それがすべてではないし正しいとも限りません。人間は鳥ではないので、自分の経験からの思い込みを直していけるし、それが「おいしいうどんを食べる」ために必要なのです。自分が今までそうだったから、これからもずっとそれが正しいと信じ込んでしまうと、結果的に自分の生きたいように生きられません。
江戸時代ならお百姓さんの子どもは農業だけ知っていれば困りませんでしたが、今は封建時代ではないので、自分の生き方を自分で考え選び取る自由があります。偏差値の高い高校や大学に行って、安定した仕事についてお金をたくさんもらって……という生き方がまちがっているわけではありませんが、それだけが幸せになる道だというのも一種の思い込みです。有名な大学を出たとか勉強ができるとかお金があるとかではなく、自分が納得できる生き方をやり通せるのが人間にとって一番幸せだと、山本は思うのです。そういう人は目立たないけれど、世の中にたくさんいます。鳥羽先生だってそうだし、みんなのまわりにもそんなオトナがいるはずです。世の中に色々なものの見方や考え方、生き方があることを知って、自分の道を自由に選び取れるようになってほしいです。
思い込み(先入観念)を修正するにはまず、自分の経験がすべてでも一番でもないと知っておくことです。世の中にはみんなの知らない色々なものごとがあって、またものの考え方や人間の生き方にも色々あることがわかっていれば、自分の経験からだけでなく「もしかしたら違う考え方があるかもしれない」と思えるでしょう。勉強が役に立つのは、そういう時です。
小学校でみんなは、1−3は計算できないと言われたかもしれません。中学校ではx
2=−1は解けないと教えられていたでしょう。今は、1+1=2は絶対まちがいないと思っているはずです。でも本当にそうかどうかは、実は大学で勉強してみないとわからないのです(大学でもかなりがんばらないと1+1=2の証明はできません)。他の科目でも同じです。今までの知識を「こわして」新しい世界を知ることが、自分の中の思い込みに頼らないようにするのに、とても役に立つのです。高校で勉強を続ける人も、新しい世界で勉強を始める人も、今までの自分の思い込みを変えて考え方をより自由にすることが、みんなのこれから取り組む勉強の大きな意味のひとつであることを、覚えておいてもらえたらと思います。
ここでいう勉強は、学校の授業を受けることだけではありません。自分の中の先入観念を変えるという意味では、恋も遊びもバイトも映画を観ることも友だちと話すことも、すべて勉強のチャンスにできます(絶対勉強になるっていう意味じゃないよ)。すべては自分の構え方です。
山本が大学時代に最も影響を受けたのは、大学の講義でも先生でも友人でもなく、市民運動やボランティアで出会った社会人の人たちでした。夜勤明けで眠い目をこすりながらボランティアをしていた看護師さん、毎月スーパーの前で廃油のリサイクルを手伝ってくれるやさしいおばあちゃん、水俣病患者の救済運動であちこち飛び回る電車の運転手さん、その人たちの姿は大学に入るまで受験勉強まみれだった山本にとって、衝撃でした。あの人たちから学んだことが山本の生き方を決定的に変え、ここまで生きてきました。そしてこの1年でのみんなとの出会いも、山本にとっては貴重な勉強でした。人との出会いはガリレオも言っているように、すべて学びの機会になるのです。
みんなはまだ若くて頭も柔らかいし可能性もあるのだから、色々な人との出会いと経験からたくさん勉強して、自分の生き方を探してみてください。少々回り道をしても絶対ソンしないよ。
今回の地震の被害はとても大きく、長い期間に渡ってこの国のあり方に影響を及ぼすはずです。かつてアメリカのライバルだった大国ソ連は、他にも原因はあったにしろ、チェルノブイリ原発事故をきっかけにして崩壊し分裂しました。日本でも農業や漁業への大きな打撃、電力が不足して工場や会社が動かなくなり一層景気が悪くなること、地震と津波によって壊滅状態になった被災地の復興、数年以上続くと言われる原発事故の影響など、誰も予想できないほどの変化が起きそうです。福岡にいるみんなの生活もまちがいなく変わっていくでしょう。
被害で苦しんでいる人たちの生活が少しでも早くよくなってほしいですが、それとは別にこれからのこの国と、そしてこの国にいるみんなの未来がどうなっていくのかも考えてみてほしいです。数十万人の人が苦しんでいる中でできることは何か。万一福岡にも放射能が来て、水や食べものが危険になったらどうするか。テレビなどの情報をどう判断するのか。今までのように電気を浪費する生き方でいいのか。景気が悪くなって就職ができない人が今以上に増えたらどうなるのか。もし自分自身が大学を卒業しても仕事がなくて、稼げなくなったらどうするか。
これまでみんなが考えていた『未来』の形が変わるかもしれない今こそ、テストの点のためでない本物の勉強が必要です。高校や大学の授業でそういうことを直接学ぶ機会はあまりないでしょう。学校などで学んだ「基本知識」を元にして、自分で考えていくしかありません。山本がみんなと一緒に考えていけたらとも思いますが、実はオトナたちにもそんなに知恵はないのです。正解の見えない問題の答を探すのは、これから実際に答を出して(世の中で生きて)いく、そして若いからこそ今までにない解答を出せるかもしれない、みなさんです。難しいけれど、自分と仲間の未来の行方を探すことは、みんなが幸せになるための、とてもワクワクして楽しい作業でもあるのです。どうか一度しかない人生を、後悔しないように生きていってほしいです。(2011/3/30)
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