笑うミミズ


 大学を卒業してから、大学院に2年行きました。滋賀県の琵琶湖のほとりにある臨湖実験所に通いました。
 Yは高校生の頃から、環境庁(今は環境省)に入って公害問題を解決したいって思っていました。
 琵琶湖は「関西の水がめ」と言われ、滋賀をはじめ京都、大阪、神戸あたりまでの水源になっています。当時は特に琵琶湖の水の汚染が問題になっていて、そのうち関西では水が飲めなくなるのではないかと言う人もいました。自分の研究が琵琶湖をきれいにするために役に立てば!ってちょっとは意気込んでいました。
 大学院は1週間に4時間ずつ授業とゼミがあるだけで、あとは自分でテーマを決めてひたすら研究をします。最初の1ヶ月はテーマを選ぶために、毎日あちこちの生きものを調べました。琵琶湖の真ん中に船で出て水質調査を手伝って、暑くなると湖に飛び込んで泳いだりしました。
 実験所は湖のすぐ近くにあって、湖岸には水草のヨシがたくさん生えていました。何の気なしにヨシの茎の水に沈んでいる部分を見ると、薄茶色のモヤモヤしたものがくっついていました。なんやろと思って、実験室に持ってきて実体顕微鏡で見ると、茎のまわりにゴミみたいなフワフワしたもの(デトリタス)がくっついていて、そのゴミの中で見たことのない動物たちがモゾモゾ動き回っていました(今回のスケッチは全部27年前にYがかいたもの)。
 動物の中で多かったのは、だ腺染色体で出てきたユスリカの幼虫、センチュウ(ヒトの消化管に寄生するカイチュウの仲間)、ミジンコ、そしてミズミミズというミミズの仲間でした。他にもカゲロウやトビケラの幼虫、ケンミジンコやカイミジンコ、クマムシやヒドラ、コケムシやカイメン(カイメンって動物です)、タニシやカワニナなど貝の仲間などなどなど、これでもかというくらい色々な動物がいました。魚などの卵もたくさん見ました。同じ琵琶湖でも、沖合にはとてもこれだけの種類の生きものはいません。
 ミズミミズ(ミズミミズ科、Family naididae)はちょっと汚い川や湖にはよくいるミミズで、キンギョを飼っている水槽で繁殖することもあります。普通のミミズよりはるかに小さく体長は長くて4〜5mm、体は透明か白くて体の節ごとに毛が生えていて、目やツノまで生えているのもいました。水中に放すとムカデみたいに毛を動かして泳ぎます。口をあけて笑っているように見えるのもいました。さらに体の途中にツノが生えているのもいて、翌日には分裂して2匹に分かれていました。もうわけわからん。なんじゃこいつら。
 図鑑でミミズの種類を調べる(同定する)のですが、ミズミミズの詳しい図鑑は日本にはないので、外国の英語の論文を取り寄せて読んで、ミミズの毛の形(毛に生えているトゲの形でミミズの種類がわかる!)を顕微鏡で見ながら検索しました。でも論文でも名前がわからないのがいて、自分で勝手に「ヤマモトミミズ」って名前をつけていました(こういうときのカギカッコは『本当でない』ときにつけます)。論文を書いた研究者に標本を送って、新種かどうか確かめてもらいなさいって先生から言われ、標本をイギリスに送ったけどお返事はきませんでした。標本がこわれた? 図鑑をもっとよく調べればよかった? お手紙の英語が下手すぎて読んでもらえなかった?
 現在名前がわかっている生きものは約190万種ですが、地球上にはまだ名前がついていない生きものがたくさんいて、未知の新種は1000万種以上とも言われています。鳥や哺乳類など体の大きいものでは新種はほとんどいないとされていますが、ミミズやセンチュウなど小さく、普通の人があまり見ない場所で生きているものには、まだまだ名前のついていない種類がたくさんいます。「ヤマモトミミズ」も本当に新種だったのかもしれないけど……新種の登録をするための論文を書く気力は、Yにはありませんでした。サボリやねえ。ちなみにYを教えていた成田先生は本当に新種を発見し、琵琶湖の底にはナリタヨコエビが住んでいます(横向きになって泳ぐエビ)。
 沖合と比べて岸、特に水草が生えている場所は、環境が複雑なので多くの種類の生きものが住んでいます。色々な動物の卵や、かえったばかりの子どもが育つ場所でもあります。また水の中の汚れ(有機物)を食べて、食物連鎖の中で水や二酸化炭素などの無機物に変え、水をきれいにする働きもあります。そういう、地味だけど大事な場所の生きもの、何より普通には見れない面白い生きものをを調べたいって思いました。開発のために年々減っていくヨシ帯が、環境や生きものを守るために大切な役割を果たしていることを証明することで、自然を守れるんじゃないかという気持ちもありました。
 それから1年間ヨシ帯に通って、ヨシ茎にくっついている動物の調査をしました。ウエットスーツを着てヨシの中をかきわけて入って、ヨシを切ってビニールに入れてラボ(実験室)に持ち帰って、徹夜で顕微鏡を見ながら「ミミズが1匹、ミジンコが10匹……」って数えるのは、きつかったけど楽しかったです。
 でも修士論文を書く段になって、自分が研究のためでなく「楽しいから」生きものを見ていたことに気がつきました。データは山ほど集めたのですが、ちゃんとした論文を書くための調査が足りないような気がして、どれだけ文章やグラフを書いても納得できませんでした。学会で発表はしましたが、修士論文を仕上げることができないまま大学院を卒業してしまいました。実は今でも成田先生がなんとかしろと言ってくださっているので(なんてしつこくていい先生!)、少しずつ論文の手直しをしています。来年中には論文を形にして、28年目の宿題を終わらせたいです。誰ですか、生物の宿題を出すのが遅いって舞鶴の生徒に怒ってる先生は?

チェックシートより  毎回面白い意見や疑問があって読み飽きません ありがとう
(2013/10/8)


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