うのまない


 Yはネット上で文章を書いています。その一部はみんなも読めるようになっています。
 最近ネット上のYの文章を見たり、SNSでアクセスしてくる人がいます。
 文章をオープンにしているのはYの責任ですから、みんなにはそれを読む自由があります。授業(雑談)のネタバレにもなるので文章を読むのは勧めないけど、止める気もありません。

 ただし2つ、知っておいてほしいことがあります。
 Yはこの学校にいる間はみんなの教師ですが、それ以外の場所では基本的にみんなとは関わりません。みんなの担任ではないし、線を引いておかないとかえってみんなとうまくやっていけなくなります。だからネット上でみんなと関わることはしません。そのことは了解しておいてください。
 もう1つ、こっちの方が大事なのですが、Yの書いていることが頭から正しいって信じないでほしいです。
 学校でみんなが解いている問題の多くは、答が1つだけに決まっています。数学の答が何通りもあったら困るし、生物にしてもほとんどの問題は答が1つ決まっています。国語あたりだと答が何通りかある場合もありますが、それでも最も正しい模範解答が出されるのが普通です。
 でも世の中にある色々な問題は、正解が決まっていないものがほとんどです。
 たとえばみんなが休日に何をするか、誰と友だちになるか、どのクラブに入るか(入らないか)、どんな進路をめざすのか、そういうことに正解はありません。何を選んでも自由である代わり、みんなは選んだことの責任を負うことになります。野球部に入って練習がきついと文句を言っても「野球部を選んだのは君でしょ?」って言われたら終わりです。
 おとなになると自分のこと以外にも、他人を含めた集まり(職場や家庭など)の問題、もっと大きく言えばこの国のあり方、政治の問題にも自分の考えを出すことになります。この国は民主主義ですから、みんなは20才になれば国のあり方について投票などを通じて意思表示をする権利があるし、国のあり方について責任を負うことになります。投票に行かなかったからといって責任がなくなるわけではありません。何も言わないことも1つの選択であって、意味を持つのです。
 生物に関わることだけでも、たとえば自分が亡くなったときに臓器を提供するかどうか、どんな食べものを体にいいと考えて食べるか、iPS細胞による最新治療をどこまで信頼して受けるか、原子力発電所からの放射能の影響をどう考えるかなどなどなど、自分で答を出さなければならないことがたくさんあります。
 自分の考えを決めるときには、世の中の誰かの意見を参考にするのが普通です。えらい人がこう言っているからそれが正しいだろうとか、親御さんなどおうちの人が言っていることにしたがうとか、会社の上司がこう言っているからこれが正しいとか、おとなになってもそういうことがたくさんあります。
 でも相手が責任を負ってくれる立場(医者など)である場合をのぞけば、誰かの意見やアドバイスを信じてそれにしたがった責任は、相手ではなくみんな自身にあります。ある食べものが体にいいと誰かに勧められても、それを食べるかどうか最後に決めるのは自分だし、食べた結果自分の体がどうなるかについて、勧めた人に責任を押しつけることはできません。自分の選んだことに責任を負うのがおとなだからです。
 Yは教師ですから、学校でみんなに勉強を教えるときには、科学的に正しいことを教える責任を負っています(ミミズのことは言いっこなし)。でも学校の外で、勉強以外のことについて書いているYの考えが正しいかどうか、それに賛成するか反対するかを決めるのは、みんなの責任です(この文章を正しいと思うかどうかだって、みんな次第ですよ)。
 Yの考えに賛成できないからといって、Yがその人のことをきらいになったり点数を下げたり?することは絶対にありません。どんな考えを持とうと、みんなはYの大切な教え子さんです。そして人間は違う考えを持っていても、お互いの考えの違いを認め合いながら仲よくできます。
 別にYに限ったことではなくて、どんな人のどんな意見でも鵜呑みにしないで、自分で納得できるか、自分で正しいと思えるかどうかを考えてほしいのです。先週からノーベル賞が発表されていますが、ノーベル賞だから無条件にすごいって思うのも「鵜呑み」です。その業績が本当にすごいかどうかを決めるのは、みんな自身です。本当はみんなに、それが決められるくらいの勉強をしてほしいのです(本気でやればできるはず)。
みんなが勉強する目的の1つは、自分の生き方、何を選んで生きていくかを選ぶ力を身につけることです。誰かの言うことを鵜呑みにするのではなく、人の意見をクリティカルに(critical;批判的な)受け止め、誰のどの意見が最も正しいかを自分なりに考えて選びとり、選んだことに対して自分で責任を持てるようにするのです。それは誰かに振り回されず、自分の人生を自分のものとして楽しんでいくために、必要な力だからです。
 今のみんなは学校で、誰から見てもほぼまちがいのない知識や技術・経験を学んでいます。おとなになったらそれらを土台にして、自分自身や世の中に対する考えを自分でつくって行動していくのです。授業には教科書があるけど、生き方の教科書はありません。自分で自分の生き方の教科書をつくるのは、難しいししんどいけどとっても面白いです。その面白さもみんなに味わってほしいです。

チェックシートより (2013/10/15)


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