文化祭よもやま

 この学校の文化祭は他と比べるとかなり変わっていると思います。すぐ思いつくことは2つ;

 ・クラブの発表しかないこと。クラス・有志単位の企画がほとんどなく、見せる人<<見る人、という構造になっている。
 見せ物としては悪くないのだけれど、"生徒の作る文化の祭り"などと考えればこれはちょっとおかしい。意地悪く考えれば、「外部の人をたくさん呼ぶ自信がないので、学校の生徒の大部分が見物人になるようにしている」ととれなくもない。それに何年も見ているとどうしても飽きる。それで白けて興味をなくしてしまう人や、「見る・見せる」の関係にこだわりすぎて花束をやたらと欲しがったりする人が出てくる。文化祭に限らず学校の行事は本来「みんなで作る」ものではないのか?

 ・男子禁制。これにははっきりした理由もあり、ある程度はやむを得ない面もあるけれど、閉鎖的な文化祭になっている大きな原因の一つだと思う。生徒会の投書にも「男子禁制をやめて欲しい」という意見は多いですね。
 ただし、男の子とカップルになってみんなに見せびらかす、というような発想にはうなずけない。さっき書いたように、文化祭はみんなの作るものなのだから、例えば「男子校の子と協同で何かの企画を考える」「自分の彼氏に自分の一番いいところを見てもらう」「学校外の人に幅広く門戸を開放する」という考え方がいいのではないかと山本は思うのですが・・・

 まあこんなことを書いても、すぐに何かが変わるものではないね。でも何年も経験している行事にしても、もっとこうしてくれたらいいのに・・・という意見を友達同士で出し合ったりするのもいいかもしれないね。
 この学校で(というより最近の高校生全体について)一番気になるのは、悪い意味での個人主義(自分さえよければ・・・)です。よく考えればわかると思うのだけど、自分一人だけが幸せになれるという状態はあり得ない。「私が一番気持ちいい」時は「他の人も気持ちいい」はずです。どんなことをするにしても、みんなで助け合い協力し合うという姿勢を作っていって欲しいです。

 ※授業のスピ−ドについて
 当面は今ぐらいの速度で行きたいと思っています。これでも予定をこなすにはかなり遅いので、補習をするか速度を上げるかのどちらかを、いつか考えなければなりません。
 今のところは「丸暗記でなくできるだけ理屈から説明する」方針でやっているので、どうしてもある程度遅くなります。それでも、「なぜそうなるのかを考える」ことだけはしっかりやっていかないと、楽しくなくなるし、入試にも結局通用しない。覚えることだけなら授業を受けなくてもできます。「理屈で考える」ことにだけはこだわって欲しいと思うのです。文系に行く人でも同じことが言えるが、理系の人は特に理論を大切にしてください。

 ※授業ノ−トの感想コ−ナ−
 Nさんの感想
 「授業でしたこと、このノ−トに書くのんめっちゃいややった。きれいに書かなあかんし。めんどかった。そんで、授業楽しいわ、思ったよりは。でも、テスト簡単にして。・・・」
 授業ノ−トが面倒くさいのはむしろ当然ですが、とても勉強になることもわかると思います。休んだ人へ、というより、書いた人にとって良い復習になるように、という意図でとって欲しい。授業が楽しい、と言われるのは、教師にとって一番うれしいことです。こういうハ−ドな内容の授業でも、1時間の中のどこかで「あっ、面白いな」と思えたらいいね(・・・先生の能力次第なんだけど)。
 テストはまだどのくらいのレベルにするか決めていませんが、ある程度は入試=いつかみんなの当たる壁、を意識せざるを得ない。でも落第させるわけにもいかないので、これから色々考えてみます。
 Hさんの感想
 「化学なんか何で選択したんかなぁ。おまけに選択1も代数幾何を取ってしまった。今すごい後悔してます。・・・まじめに勉強してみようかなぁ。」
 進路のことは真剣に考えて欲しいけれど、進路がどうであれ「真面目にがんばれば面白さがわかるかもしれない」ということも大切です。仮に、今勉強していることが将来に直接役に立たなくても、前に書いた「理屈で考える」ことがきちんとできるようになることは、大きな意味があると思いませんか?前向きに考えて欲しいなぁ。(1994/5/2)


通信の一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system inserted by FC2 system