東北旅行あれこれ

  (いったいどこが「化学通信」なのでしょう?)

 授業の時にも少し言いましたが、山本は8月の終わりに6泊7日で東北旅行に行ってきました。みんなの修学旅行のコ−スともかなり重なっていますので、参考のためにあれこれを書いてみます。


 1日目 大阪〜花巻〜宮沢賢治記念館〜新花巻〜宮古(泊)

 朝、ラッシュの時間帯に家を出て大阪空港から花巻へ。飛行機に乗ってコワイと思ったことなどなかったのに、今回はなぜか「落ちたらどうしよう」などと意味のないことに怯えた。
 飛行機の飛ぶ高さは高度約10kmくらいまで。雲の上に出ると景色がよい(雲の上を走っているよう)。この辺の気温は−50℃くらい(知ってた?)。
 結局無事花巻へ。宮沢賢治記念館はなかなか面白かった。彼は詩人+小説家+教師+科学者として多才だったが、山本は彼が理科の教師時代に使っていた「図」(地層の図や、原子・分子の大きさをイメ−ジさせるための図)の見事さに驚嘆した。(相棒はひたすら詩や童話を読んでいた)化学も良くできた人だったんですよ。
 遠野を通り抜ける列車に乗って夜の宮古へ。駅前のお寿司屋で夕食(美味!この辺の魚はやっぱりうまい。一度食べてみて下さい)


 2日目 宮古〜浄土が浜〜宮古〜盛岡〜小岩井農場(SLホテル泊)

 朝早く旅館を出てバスで浄土が浜へ。また通学ラッシュにあってバスは高校生で一杯だった。
 まずは浄土が浜で砂浜の貝(小さいアワビがたくさんいた)を取ったり、海鳥の写真を撮りまくる。田郎行き40分コ−スの遊覧船に乗り、三陸海岸を初めてゆっくり見た。
 −−−相棒は船に寄って来る鳥にパンをやっていたが、山本はそういう反自然的なことはあまり好きではない。生きものを甘やかすと大体ろくなことはないのだ。
 その後近くの海洋博物館へ。この辺はアワビの養殖で有名なところなのだそうな。(養殖とは実は非常に効率の悪い漁業です。しかも薬漬け)サカナに興味のない人にはもう一つですね。
 宮古に戻ってからJRバスに乗ること2時間半、盛岡を経て小岩井農場へ。古いSLの客室をそのまま寝室にしたSLホテルに泊まる。景色は良いが窓が開かないのが難点。


 3日目 小岩井農場〜田沢湖〜小岩井農場(SLホテル泊)

 小岩井農場での宿泊は食事が魅力的だ。朝のミルクは飲み放題、作りたてのバタ−・チ−ズを存分に食べられる。ホテルの支配人は若くちょっと気取った男性で、女子大生のグル−プに観光案内をしたり人生論をぶったり、かなりお節介だった。
 JR田沢線からバスに乗って田沢湖へ。ここを自転車で一周しよう!というのがこの旅行の目玉の一つだった。田沢湖は水が青く(緑でなく本当に青い)、水中の酸素も多い方で、水質は比較的良い。ただ渇水のため岸は石ころだらけだった。
 湖岸一周道路には赤トンボ(アキアカネ)の大群がいて、アスファルトの上のトンボをひかないようにクネクネと走ろうとするのだが、しまいには避けようがないほど多くなってきた。恐らくあの日、田沢湖周辺にいたアキアカネは、何億匹という桁だっただろう。
 山本は水の生きものが専門なので、湖岸やたんぼの中の生きものを見たかった。一周する途中、道の脇のたんぼをのぞくと、何やら得体の知れないトカゲのようなものがいる。何だろう?採集してみたかったのだが、たんぼの中は泥だし、普通の靴ではどうしようもなかった。用意していけばなぁ・・・とその後しばらくは相棒にブツブツ言っていた。
 8月にしては涼しく、自転車一周は正解だった。帰りはまたも通学ラッシュに合い、夕方の満員電車で2人ともヒ−ヒ−言っていた。でもバスツア−よりも、地元の普通の人と接する機会の多い旅行がしたかったので、これはこれで今から思えば面白かった。観光バスの中からではよく見えないこともたくさんある−−−と思うのだけど−−−


 4日目 小岩井農場〜盛岡〜十和田湖(泊)

 この日の朝、初めて小岩井農場の中をまともに見た。この農場は明治時代の財閥がからんで作られたものらしく、設備はかなり豪華だ。牛にしても馬にしても、放牧されているものの目はどこかボ−ッとして見える。
 山本は主義としては「生き物はすべて野生に帰るべき」などと思っているので、実は動物園とか農場では生きものが可哀想に見えてしまい、あまり好きではない。みんなはどう思いますか?
 盛岡からバスでまた2時間半、耳が痛くなるほど高いところへ上がっていく。十和田湖は火山湖で、できた当初は魚などの大型生物は全くいなかった。大体火山の溶岩は強酸性であることが多く、植物プランクトン(ケイソウやツヅミモなど)も特殊な種類を除くと生活しにくい。つまり魚の餌があまりないのだ。しかしその分、水はやはりきれいだった。
 観光船の中では2人とも疲れて眠ってしまったが、民宿の近くで夕方見た湖の岸の景色は、なかなかきれいだった。こういう湖と「我が」琵琶湖を比べると、いかに人間が水を汚しているかがよくわかる。例えば阪急沿線の人、御影駅で降りて「深田池」に一度行ってみて下さい。琵琶湖の一番ひどいときは、あんな感じです。


 5日目 十和田湖〜奥入瀬渓流〜青森〜津軽・金木町(斜陽館泊)

 奥入瀬渓流も楽しみにしていた。本当は下流から上流に歩く方が良いらしいが、とにかく9時に十和田湖をスタ−ト。水量が少ないせいか、旅行ガイドに出ているよりは水が濁って見えた。しかし滝はなかなかきれいで、相棒は写真やビデオを撮りまくる。
 山本の方は川の中にいる昆虫を取りたくてウズウズしていた。これはカゲロウとかトビケラの幼虫などで、水生昆虫と言われる。水の中に住んでいる生きものの種類がわかれば、水がきれいか汚いかを知ることができる。2人の目的がまるで違うので、お互いを待っているとなかなか前へ進まない。仕方がないので、真ん中の滝までは我慢して歩くことにした。そこで休憩。相棒が写真を撮っている間に、こちらは裸足になって川に入り石を拾いまくる。「トワダカワゲラ」らしきものが何匹か隠れていた。生物で教えた「プラナリア」もいる。一番きれいと言うわけではないが、ここはやはりまだきれいな水の場所なのだ。
 3時間くらいかかって焼山にたどりつき、ここから先はバスで青森へ。電車を乗り継いで津軽へ。最後に乗った「津軽鉄道」は大赤字を出しそうな人の少ない電車で、こんな古い電車が走るのか?というようなものだった。(風情がある!といって喜ぶ人もいるでしょう)
 斜陽館の話は授業でもしたが、太宰はやはり天才だ。山本は「人間失格」より「斜陽」の方が好きで、この旅行にも文庫本を持って行き2人で読んだ。「金持ちの家の優等生の悩み」という意味では、この学校の生徒の一部(?)にも通じるものがあるかもしれない。しかしこの人の悩みの本質は「共産主義思想との対決と決別」にあると、山本は勝手に思っている。(難しいかなぁ・・・)人間失格はとにかく一度ちゃんと読んでみて欲しいです。
 そんなことはさておいて、斜陽館の夕食はご馳走だ。牛肉と豚肉と刺身とウナギが一度に出る料理は初めてだった。太宰は大きい人だったというが、このくらい食べていたのか?


 6日目 津軽(斜陽館)〜JR五能線〜秋田(泊)

 津軽鉄道に乗って、斜陽館の近くの公園に行った。紅葉には少し早く景色はもう一つだった。昼前に津軽を出て、日本海に沿って走る五能線に乗った。この日の目標は「海に沈む夕日を見る(撮る?)こと」だった。途中、鯵(あじ)が崎というところで降りたが、たまたまそこは舞の海の出身地で、駅の前に大きな看板や応援会の誘いが張ってあった。こういう小さな町でフラフラするのも結構面白い。
 肝心の夕日は、沈む瞬間が山に隠れてしまったが、2人でゆっくり電車に乗りながら見ているのは楽しかった。(彼と2人で行くなら結構五能線はお薦めです)
 秋田が最後の夜なので、ご馳走を食べようと思っていた。観光ガイドに書いてあった民芸料理の店に行くと、何と「お酒を飲まない人はご遠慮願います」とある。相棒は飲めないこともないが、山本は全く飲めない人間なので、やむなくあきらめた(こういうこともガイドに書いておいて欲しい!)
 歩き回ったあげく、ちょっとひなびた居酒屋へ。「きりたんぽ」は田沢湖で食べたので、秋田風のうどんと「とんぶり」「じゅんさい」などを頼んだ。じゅんさいはさすが名産だけあって新鮮で美味しい。「とんぶり」は黒い小さな粒(実)の集まりで、はっきりした味はないが、山芋と一緒に食べるとなかなか美味だった。食べた分をこっそり暗算すると6800円だったのに、店の請求書は「8300円」だった。こういうことは居酒屋ではよくあることなのだ。詐欺じゃないかと思いながら、もめるのもバカバカしいのでそのまま払った。(皆さんも気をつけましょう)


 7日目 秋田観光〜大阪

 疲れもたまっていたので、10時くらいまで2人とも寝ていた。喫茶店で朝食を取って、まずはおみやげの買いだめ。名産店とかもあるのだが、色々選ぶとなると・・・ということで、結局駅の中のデパ−トで買いあさった。山本は生徒には、「なまはげ」の温度計をクラスに置くために買っただけだった。(他人にものを期待する人は大物になれません)
 余った時間で観光・・・なのだが、遠くに行くほどの時間もなく、駅の近くの美術館に行った。小さな美術館だったが、中をよく見るとピカソやらゴ−ギャンやらドガやら、とんでもないコレクションがたくさんある。横幅20mくらいの「秋田の祭り」の絵も迫力があった。こういう掘り出し物があるところもツア−でない良さかもしれない。
 帰りの飛行機も何となく不安だったが、疲れのせいかすぐ眠ってしまった。大阪空港から阪急で、家に帰り着いたのは10時前だった。
 「ドタバタした旅行だったけど・・・それも旅行のいいところだね」(1994/10/4)


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