教師の責任について〜お詫びと言い訳にかえて〜

 山本は3月でこの学校を退職することになりました。
 このことについては地震の後の授業で逆のことを言ったので、みんなには重大な(?)ウソを言ったことになります。ごめん。ただあのときにはまだ辞表を出していませんでした。最後の最後まで迷っていました。
 やめる理由は一言では言えないほどたくさんあるので、あまり詳しくは書けません。正直に言えばこの学校が嫌になったところもあります。
 ただこれは断言しておきたいのだけど、この高2の授業は山本にとっては支えのひとつでした。みんなの真剣な顔を見たり、進路についての相談を聞いたりする時間は、山本にとってはとても充実していました。みんなからもたくさんのことを教えてもらいました。ありがとう。

 お金をもらう仕事として初めて山本が人を教えたのは、大学2回生からの家庭教師です。大阪の高校生に英語と数学を教えていましたが、1年半教えたところでクビになりました。教える技術も相手の気持ちを考える余裕も何もなくて、今から思えばクビになっても仕方がないような状態でした。
 その次は大学院に入ったとき、京都の嵐山の近くの小さな塾(現在はつぶれています)で5年教えました。中2から高3まで持ち上がりましたが、この生徒(今は大学4回生)たちに、子どもとつきあうことの楽しさや苦しさを教えてもらったような気がします。
 そんなに勉強のできる人はいなかったけれど、みんなでワイワイ言いながら数学や理科に取り組むのは、山本にとって初めての喜びでした。勉強する気のある子に補習をするのも少しも苦ではなくて、いくらでも子どもの顔を見ていたい毎日でした。
 その後会社に入ってサラリ−マンをしたりしましたが、子どもとつきあう楽しさが忘れられず、大学に戻って教員免許を取りこの学校に入りました。この学校に来る前の1年も桂の塾に行っていましたが、合格の決まった時はみんなで泣いて喜べたし、中3と一緒にボウリングやカラオケに行ったり、そこで教えた生徒とは今でも時々連絡があります。

 山本が思うのはこんなことです。
 「塾と学校とでは、どちらが子どもといい関係になれるのだろうか」
 学校では、授業で勉強を教えること以外にも、子どもに関わる仕事や学校の中だけの仕事があります。生活指導やクラブの中でも子どもと一緒にひたむきになることはできるだろうし、そういう先生はたくさんいます。
 でも山本はあまりクラブに集中する気にはなれませんでした。学校の中で一番大切なものは授業とクラス運営だと思っていたからです。そこでしっかりできなければ−−−子どもに誤解され嫌われてもいいから、本当に子どものためになることを考えたかった−−−学校の教師としては失格だと思っています。
 授業やらクラス運営についてこの1年間自分がどこまでできたのか、よくわかりません。まだ駆出しの教師にうまくできるはずがないこともあります。ただ失敗だらけでも挑戦することだけは続けたかったし、そのためにはやっぱり子どもから元気をもらわなければ山本はうまく動けないのです。

 塾は基本的には受験勉強を教える場所ですが、子どもとの関係だけで見れば今よりはマシだと思えます。これまでの山本の経験だけで考えれば、教える環境(クラスの人数など)にしても教師の情熱にしても、学校の方が劣っていると思えることが多くありました。
 ・・・受験勉強というのは、学問の立場から見ればとても偏ったものだし、山本が一番教えたいことではありません(去年の生物を聞いてくれた人はわかってくれると思います)。本質的には入試勉強なんてくだらないものです。でも塾の中でも、受験勉強以外のことを教えることはできます。山本は今までそうしてきたし、これからもそうしていきたいと思っています。

 この学校がこれからどうなっていくのか、山本にはわからないし興味もないけれど、「以前よりも管理主義になっている」という先生はたくさんおられます。高い授業料を取る私学では、学校の特色をはっきり出さなければ生き残っていかれないように思います。
 この学校のいいところってどんなところだと思いますか? 山本には結局最後までわかりませんでした。あえて言えば「自由な雰囲気」なのかもしれません。それさえなくなっていくような気配を感じます。教師一人一人の能力は公立と比べても変わらないし、いい先生や生徒がたくさんいるところなのに、全体の流れが良くない方向に行っているような気がするのはなぜだろうか?
 これには時代の流れも関わっていて、昔よりは「管理するのが好きな先生」や「管理された方が楽な生徒」が増えているのが事実です。でも本当にこのままでこの学校が続いていけるのかどうか、続いていっても中にいる生徒が充実した生活を送れるのかどうか、山本には疑問です。

 あなたたちのこれからを近くで見られないのは、確かに残念です。
 けれど客観的に見たとき、高3ともなればもはや教師に頼っている時期ではないと思います。勉強を教えてもらうことだけ見れば今までと変わらなくても、自分の進路のことや精神的な支え・励ましについて、あまり教師に頼ってはいけない。
 この学校はある意味で生徒を甘やかしすぎます。あなたたちは、悩み迷いその中で「自分はどういう人間なのか」「自分はどうやって生きていきたいのか」「そのためにはどんな努力をすればよいのか」ということを考え、成長していかなければならないのです。本当は化学や英語よりその方がずっと大切なのです。
 この学校を出ればいやでも自分で考えなければならなくなります。大学の先生はもはや何も助けてくれません。自分で歩いていく力を身につけて下さい。そのための試練が入試だと思って欲しい。
 そして友だちを大切にして下さい。この学校の中で「本当の友人」を作るのは、実は大変難しいことです。それでもしんどいとき、励ましたりグチを言い合える人を作っておかないと、もたないことがあります。本音が言える相手を見つけて欲しい。学校以外の人でもかまいません。人間同士が支え合うことの難しさ・すばらしさがわかるのも、あなたたちの年代だからです。

 山本の義理の母親は、高校時代医者になりたかった人でした。医大に落ちて山本の父親(中学時代の先生)と結婚し、山本の妹(今24才)を育て、30代半ばを過ぎてから「医療秘書」の資格を取るための勉強を始めました。どうしても病院で働きたかったのです。そして一昨年父親が亡くなってしばらくしてから、看護学校に入りました。今は午前中は学校、昼からは病院で看護婦の実習という生活です。
 47才です。山本は別に反対はしなかったけど、体力がもつかなぁという心配はしています。でもそれは母親なりの「夢」なのだから、できるだけの応援はしようと、妹と言っています。

 夢が本当にかなう人は、ひとにぎりです。
 あなたたちは今までにすでに、いくつかの夢をあきらめてきたかもしれませんし、これからもそういうことがあるでしょう。
 あきらめることは辛いことだしくたびれます。でもその辛さを覚えていて欲しい。今までかなわなかった夢の辛さを覚えて、体の中にため込んでいて欲しい。そしていつかきっと、その辛さの分だけ努力して、最後の最後にはあなたたちの夢をかなえて欲しいと思います。
 あなたたちはみんな、とてもいいところを持った、すばらしい人間です。
 人から図々しいと言われようが、自分が本当にやりたいことがあるならば、それに向かって努力して欲しい。あきらめなければ、いつか必ずチャンスは巡ってきます。そのときのために準備だけはしておいて下さい。
 あなたたちの人生は、まだこれからです。自分の道を小さくして欲しくありません。
 そしてみんなが大人になったとき、自分の夢に向かっていい顔でがんばっているあなたたちに会えたら、山本はみんなと出会えて良かったナと、もう一度思うことができます。
 元気でね。 (1995/3/14)


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