ものの見方について 〜人間観と自然観と社会観〜

 山本の父親は公立中学の英語の教師でした。山本は父親から勉強を教えてもらったことが一度もありませんが、勉強以外のことについては色々な話を聞かされました。

 高3の半年ほど、山本の通う高校まで父親の車で送ってもらっていた時期がありました。車の中で父親は、「日本の近代文学」について延々と話してくれました。父親はもともと小説家になりたかった人なので文学には詳しかったのですが、山本には少しだるいなぁと思えることもありました。実際どんな話だったかほとんど覚えていません。ただその長い話の中で1つだけ心に残ったことがあります。
 小説には、書いた人の「ものの見方」人間観と自然観と社会観が、全て反映される
 わかりやすく言うと、どんな小説家のどんな作品でも、その人が人間・自然・社会をどのようなものだと考えているかがわかるはずだ、というのです。女性を馬鹿にしている(差別している)人が、どんなに魅力的な女性を描いたとしても、それはにせものにすぎない。今の世の中の仕組みにがまんできない人は、どうしても次の時代への憧れを書いてしまう。
 ほんまかいな、と思いましたが、それからは本を読む度に「この人はどんなものの見方をしているのだろう」ということを考えるようになりました。

 どんな人間でも、ある「ものの見方」(思想とも呼ばれます)を持っています。例えば;
 人間とはどういう生きものか。「人間とは滅びゆく運命を持った生物だ」「人間は無限の可能性を秘めている」「あの生徒はあの程度だからもう成績は伸びないよ」「女性はしょせんこんなものさ」
 自然とは何か。「自然は人間を作り育ててくれたもので、人間は自然と共生の道を探るべきだ」「人間は偉大な才能を持っているのだから、自然を支配できるように努力するべきで、自然は人間に貢献するべきものだ」
 世の中をどう見るか。「今の日本(資本主義)は素晴らしい。みんなが幸せになれる。」「今の世の中の仕組みはおかしい。貧困と差別で満ちあふれている。少しずつでも変えていかなくては」「何を考えたって世の中が変わるはずがない。お上(政府)のいうことを聞いて、自分が生きている間だけ平和であればいい」
 特に人間をどう見るか、世の中をどうとらえるかということは、その人が生きていく中で大きな影響を与えます。「世の中カネが全てや」という見方の人がボランティアをするはずがないし、「生徒は可能性をたくさん持った素晴らしい人間だ」と考える教師が、体罰をふるったり生徒を馬鹿にしたような態度をとるはずがありません。

 人間の「ものの見方」が発達してくるのは、始めは10才くらいからのようです。色々な経験を積んでいく中で、人間や世の中をどうとらえていくのかが決まっていくのです。そして自分の「ものの見方」をはっきり自覚し、それが正しいかどうか悩み始めるのが、今のあなたたちの年代です。
 「なるべくいい大学に入って、少し仕事をして、結婚して幸福な家庭を作りたい」
というのもひとつの人間観です。親の持っている「ものの見方」が子どもに大きな影響を与えるのはもちろんです。

 山本がこの学校にいて時々思うのは、生徒の持っている「ものの見方」がみんなとてもよく似ていて、みんなと違うものの考え方をする人がとても少ないということです。これは当然のことです。なぜなら、あなたたちやあなたたちのお父さん・お母さんは「この学校はいい学校だ」という共通の「ものの見方」を持ってここに集まっているからです。(この学校がいいか悪いかという話ではありません)
 この学校を選び、この学校で6年間(+4年間?)過ごすことがどんな「ものの見方」を作り上げるのか、考えたことがありますか。
 あなたたちがこの学校を出た後、今までとは全く違う「ものの見方」を持った人と出会うことがあると思います。それはとても大切な経験です。これからの何年間かの間に、あなたたちの「ものの見方」は決定的に固まっていきます。そのときに、身の回りに色々な「ものの見方」を持った人がいて、そこから学べるようにしておかないと、とても視野の狭い・人の気持ち(=考え方)の理解できない人になってしまいます。

 山本が「ものの見方」について目覚めたのは、大学に入って農薬や洗剤のことを勉強し始めてから、学生以外の色々な人と一緒に活動するようになったおかげです。
 手作り石けんを作りながら「合成洗剤の使用をやめましょう」と訴えるとてもやさしいおばあちゃん、
 息子を農薬中毒で亡くし、見栄えのしない無農薬ミカンを作り続ける和歌山の農家のおじさん、
 手が洗剤のせいでパンパンにはれあがり、それでも仕事を辞められないと嘆く学校の栄養士さん、
 「差別されていない人には、差別されている人の気持ちは永久にわからない(この言葉自体は間違いだと思う)」と言い放った部落解放同盟の人、
 看護婦をしながら障害者の介助を続けリハビリの勉強を続ける(山本が片想いをしていた)サ−クルの先輩、
 みんなが山本にとっての「先生」でした。

 上の学校に上がっても、仕事をするようになっても、世の中で色々な「ものの見方」を持っている人と接することを心がけて欲しいと思います。同じ学校の学生の中にも、今のこの学校と比べれば色々な考え方の人がいるはずですが、できれば学校以外の人と話す機会を作って欲しいです。

 山本の考えですが、本当の民主主義も差別をなくす仕組みも、今の世の中にはまだないと思います。そういう不平等な社会に住んでいるあなたたちにとって、大きく言えば選択肢は2つしかありません。
 「世の中の差別はなくならない。私は今の世の中を変えたい・変えようとは思わない。」
 「世の中の差別はなくさなければならない。そのために少しずつでも世の中を変えていきたい。」
 ・・・あなたたちがどのように考えていくのか、期待と不安を込めながら見守って(?)いきたいと思います。(1995/3/23)


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