高校を出てからのあれこれ−−−大学の1年目
18才の春、半分"家出"のつもりで京都に出てきました。生まれて初めての一人暮しには色々なことがありました。
◎下宿;初めの下宿は、ホタルの飛ぶ田舎でした。下宿には1つしかお風呂がなかったので、夜中になるとお湯の色が変わってしまうほどでした。ピアノを弾くかマージャンをするしかすることがありませんでしたが、静かで落ち着いていいところでした。他の大学の人もたくさんいて、隣の部屋の人と一晩中話し込んだりすることもありました。
「結婚するなら京大生、恋人にするなら同志社、ボディガードにするなら立命館」
なんてことも聞きました(ホントか?)
ただとにかく学校が遠くて……、大学まで自転車で40分近くかけて通っていたのですが、クラブのせいもあってとうとう膝を悪くしてしまい、秋には近くのアパートに引っ越しました。
◎クラブ;高校ではバレーをしていましたが、続けるつもりも特になかったので、色々見てやろうということであちこちに体験入部しました。
※コーラス=歌は好きなのでのぞいてみた。練習を見学した後、先輩から「新人を迎える歌」を歌ってもらった。
「青春を謳歌している」感じで、少し気持ちが悪くなって2回だけ行ってやめてしまった。
※劇団=高校の先輩のコネで高槻にある小さな劇団の見学をしました。
理屈っぽそうなおじさんの話を延々と聞かされた後、テレビでプロレスを見ました。
「あのワザは絶対インチキだ。手の動きを見ていたらわかるだろう?……こういうのを見るのも演技の練習なんだ」
そんなもんかねぇ、と思いながら見ていました。
他にも当時は珍しかったアンジェイ・ワイダの映画(「地下水道」は絶対お勧めです。チャンスがあったら見てね)を見たりしましたが、何も練習らしいことをしないうちにつまらなくなってやめてしまいました。
※劇団その2=次は大学の劇団「そとばこまち」に見学に行きました。
ボロの練習スタジオで、今度はひたすらけいこ(シェークスピアの「真夏の夜の夢」だったかな)をしていました。
はってあった勧誘のビラにはこんな言葉が書いてありました。(あんまり印象的だったので今でも覚えています)
4年で卒業したいなら、芝居なんてやめちまえ
「何年生まれ?」
「……1963年、昭和38年です」
「どこの出身?」
「名古屋です」
「名古屋?そりゃ面白い。名古屋弁しゃべれるでしょ?」
「……はぁ」
「今度やる予定の劇でね、名古屋弁の役がいくつかあるんだ。ホントにうまく話せるんだったら、君にも役が回ってくるかもしれない」
「………………」
ちょっと、と言うよりかなりムッとして、結局その1回だけでやめてしまいました。
(4年で卒業したいワイ、などという気持ちもまぁありましたが) (1996/7/1)
もうトシかなぁ
小6の小テストで遅くまで居残りしていた人を、途中まで送っていきました。
「お母さんが迎えにきてくれるから」
「じゃあそこまで行くよ」
「すぐ近くだから……」
などと言いながらテクテク歩いていきましたが、思ったより遠い!
だんだん山本の方がヘバってきました。
結局JRの西口のバスターミナルまで15分以上歩いて、
お母さんにあいさつをしてから塾に戻りましたがもうヘトヘト。
20才以上年が違うんだもんねェ。
でも体力が落ちてくるのはこわいし悔しいですね。
たまにはトレーニングでもしなきゃ。
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