入学試験のあり方について

 みんなには直接関係ないかもしれないニュースですが、先週の新聞で
  「大阪府の中学で内申書を公開することが決まった」という記事がのりました。
 内申書とは、入学試験の時に高校に送る通知表のようなものです。今まで大阪では、受験の時の自分の通知表の中味がわからないままで高校入試に臨んでいました。中学の先生の書いた、クラブやクラスや学校外の活動などの評価が自分でわかるようになったわけです。

 自分の評価がわかることは無条件にいいことだと山本は思います。でもそれとは別に、今のような入試のあり方をもう少し見直して欲しいという気持ちもあります。
 今の入試は、中学入試から大学入試まで、程度の差はあれ「問題のパターンを覚えて慣れること」がカギを握っていると思います。塾がはやるのは、学校で教えないような入試問題のパターンを塾が教えてくれるからです。
 これは悪いたとえで言うと、問題を入れたらそれにあった答が出てくる「自動販売機」のようなものです。入試では、あることに対するみんなの考えや感じ方を問われることは、原則としてありません。要するに教科書なり参考書の内容を丸暗記するだけで、合格する確率は非常に高くなるのです。(見たことのない虫の名前を覚えてどうする???)

 本当の勉強は、今までわかっていることを自分なりに応用したり解釈し直したりして、今までになかったものを作り出すことだと思います(大学で本気で勉強するとわかります)。今まで人間が発見してきたことを覚えることも必要だけど、それが一番大切なことではないはずです。
 入学試験で試されることは、「それまでに習ったことをどれだけ覚えているか」ではなくて「これからどれだけのことを作り出す力があるか」であって欲しい。そういう"自分だけの力"を試す試験というのは作れないものでしょうか?

 これは入試だけで解決できることではありません。普段の学校や塾での勉強が、教師の教える内容を受身でただ覚え込むだけのものであれば、入試でいきなり生徒の考えを聞いてもできるはずがありません。自分の頭で考える、自分で理屈で判断できる力を作るための、今までと違う勉強が必要なのです。
 ……塾でそういうことはまだなかなかできないけれど、チャンスがあればそんな「受身でない、自分で何かを作り出すような勉強」をたくさんして欲しいと思います。 (1996/9/16)


 なかなかやるね

   中2の人が「今日私新聞に名前がのってんで」と言っていたので、授業の後新聞を見ると、
   ありました……「O地方中学新人大会」の陸上と卓球で、見慣れた名がのっていました。
   なかなかやるもんだ。
   山本は学生時代万年補欠で、新聞にのるなんて夢の夢の夢だったので、
   ちょっぴりうらやましいです。勉強もがんばって文武両立を目指そう!!
 



通信の一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system inserted by FC2 system