遠き同志への手紙

 ○○先生

 お電話ありがとうございました。久しぶりに声を聞けてうれしかったです。もう半年以上学校に行っていませんが、先生方も生徒もみんな元気でいるとのこと、何よりです。
 結婚式に行かれなくて申し訳ないです。でも先生のウエディングドレス姿を見たら、お相手の人にちょっとやけるかな?……なんて気もします。(うーん)自分の結婚の時には色々お世話になったのに、自分勝手ですね。また仕事が一息ついたら、ご飯でも食べに行きたいです。

 先生には学校にいた頃お世話になりました。仕事の中でのグチ、子どもへの考え方、学校のこれからのあり方、教師としての生き方、何でも話せる人がいて、山本は本当に支えてもらいました。考え方が同じでなくても、お互いの意見を認め合っていけたのは、「いい先生になりたい」という思いだけは共通だったからだと思っています。
 山本が学校をやめることを相談したとき、
 「人間として、(△△先生も)私も、山本先生を愛してるんだよ」
と言われたことをずっと覚えています。2年間仕事の中で意見をぶつけ合い助け合い、お互いに成長することを目指してきたから言えることですね。「愛」という言葉はこういう人のためにあるんだなって思った。山本もこんなふうに言えるようになりたいと思って、今までノロノロ歩いてきたつもりです。

 今の塾で1年半、うまくいっている自信はまだないけど、「講師」ではなく「教師」としてできることは何か、自分にしかできない授業は何か、子どもを大切にする方法は何か、考えてきました。
 思うこととできることが違うので、自分の力のなさにいらだったり、子どもに八つ当り(!?)してしまうこともあります。特にこの秋は、目の前のことに振り回されて余裕がなく、子どもに十分なことができなくて申し訳ない状態です。体も前よりしんどい。年をとったのでしょうか?……でももう少し休みが欲しい!働くのが嫌いじゃないけど、いい仕事をするためには休むことも必要なのだと最近思うようになりました。

 塾では学校より生徒は自由だし、教科書にないことも教えていいし、工夫のしがいのあることも多いけど、反面"商売にならないことはできない"というところもあります(こんな通信を出していることも反則かもしれない)。
 2年前 学校で授業をしていて、また担任のクラスの子どもたちの顔を見ていて「もっと面白い・楽しい授業をしたい。学校の外やクラブや、友だちとのつきあいだけに楽しさを求めるのでなく、学校のもっとも学校らしい面で子どもが生き生きできるようにしたい。」と何度も思いました。

 山本が学校にいたとき「余談が面白い」とは言われましたが、本当は「余談も面白い」と言われたい。世の中の仕組みや自然の中の理屈がわかることの楽しさ・面白さ、自分を表現することの素晴らしさがわかるための学校であって欲しい。そういうことが自分の授業で、この塾でできるだろうか……?なんて時々考えてしまいます。ほんの時々、できた!という瞬間もあるけど、1年に何回かです。
 仮設実験授業にひかれたのは、考えることの面白さを味わえるからですが、塾ではさすがに使えません。入試勉強を教えていて、中学・高校・大学入試の中で習う理科の中味が、いかに系統だっていないか・わかりにくいか・枝葉にこだわりすぎているかを感じます。(自分の勉強不足もあるやろうけど)

 塾に来る子どもたちは「学校が楽しい」とは言うけれど「学校の授業が楽しい」とはまず言わない。塾の授業が楽しいわけでもないだろうけど、目的がはっきりしている分だけ真剣ではあります。学校では先生に怒られるから仕方なく、塾では入試があるから仕方なく、勉強しているように見えます。
 学校をやめて塾に来たのは「もっと授業で真剣な子どもの顔を見たい」と思ったからです。でも前と比べて、塾の子どもがおとなしく覇気もなく受け身で、授業はやりやすいけれど「真剣」とは何となく違う。本人のせいではなくて、小さい頃からプレッシャーを受け続けてくたびれてしまっているような気がする。将来への夢も描きにくくなっている(大人が見本にならない?)分、入試に対する動機も作りにくくなっている。自分もそういう生徒に慣れてしまって、一方的に知識を押し込む授業になってしまっています。時々振り返ってみて、そういう自分に焦りを感じます。
 どんな場所にいても、子どものためになることを考えて自分の力を尽くすことはできると、理屈ではわかっているつもりですが、自分の思いを共有できる先生がなかなか見つからないのでちょっとしんどい……のは前と同じか。今は今の場所でできることを考えるだけですが、自分の夢に近付ける場所が他にあったら、今の仕事場にはこだわらないつもりです。

 先生はこれから新しいパートナーと、どんな道を歩いていかれるのでしょうか。学校の女の先生を見ていて、家のことと学校の仕事を両立するのがどんなに大変か、自分ではとてもできないと思っていました。きっと子どもにとって「見本になる大人」になれるのでしょうね。ちょっぴりうらやましい。
 でも働く場所が違っても、考え方が違っても、やり方が違っても、理科教師として一人前になりたい、いい先生になりたいという思いだけは共有し続けていたいです。きっと本当の意味での「同志」でいられると信じています。
 なかなか学校には行かれませんが、また会える日を楽しみにしています。体だけはお互い気を付けて、気長にやっていきましょう。
 あらためて、結婚おめでとう。これからもよろしく。(1996/11/19)


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