何のための勉強か

 受験生にとっては大詰めの時期になってきました。日曜も祝日も、朝から晩まで、本当にがんばって塾に来ている人もいます。「これだけやって合格しないはずがない」と思えたらしめたものですが……
 "受験地獄"などと言いますが、普段のみんなを見ているとホントにしんどそうな人はそんなにいないような気がします。(気のせいか?)
 でも時々は「何でこんなことしてるんやろ」と思うこともあるでしょう。

 勉強は誰のためでもなく、自分のためにするものだと思います。でも、普段している勉強が自分にとって役に立つのか? という疑問はあるでしょう。実際高校くらいの勉強になると、学んだことが社会に出て役に立つとも限りません。小学校や中学校の理科もそうですね。「星座や星の名前を覚えたら、何かいいことがあるのか?」と言われると、わからない としか答えられません。
 いい学校に入るために勉強する、というのも1つの考え方ですが、何が「いい学校」なのかを考え始めると、またわからなくなってしまうこともあります。大学の場合で言うと、例えば
 偏差値の高い学校
      →就職率がいい(大企業・官庁に入りやすい)
      →自分の好きな仕事(会社)に入れる

 という考えが世の中にはあるようですが、例えば大企業なら自分の好きな仕事ができるかというと、そうとも限りません。
 山本は自分のやりたいことをするために、今より大きな会社も学校もやめてここに来ました。そういう人は世の中にたくさんいます。

 受験生にとっては、入試は「人生の中で社会に挑むチャンス」だと思えるといいように思います。普段学校の中にいて世の中と直接関わることがあまりないと、なかなか本当の緊張感は得られません。
 入学試験は試験の結果が自分の生き方と直接関わってしまうという意味で、普通の学校の試験とは違います。そこで自分の生き方、将来に対する考え方も問われることになります。入試の結果がどうであろうと、自分のこれからについて真剣に考えることは絶対ムダになりません。特に中3の人にはそういうことを言ってきたつもりです。

 もう1つ、やっぱりみんなには賢くなって欲しいです。学校の試験や通知票や入試のためだけではなく、自分が何をしていくのか、どう生きていくのかを考えるために。
 この間授業で紹介した「夫を優雅に殺す方法」は、山本が大学のサークルで農薬の調査をしていたときに、先生からもらったものです。中学〜高校で学校の理科の成績は悪くなかったけど、こういうことについては山本はまるで無知でした。食べものや水がどうなっているのか、それは何のせいなのか、どうしたらいいのか、例えばそんなことを真剣に考えるためには、やはり本当の意味で賢くなければならないのです。
 それはたくさんのことをただ覚えるのではなくて、「なぜそうなるのか?」「どうすればいいのか?」ということを考えて実行できる力のことです。せっかく塾に来ているのだから、受験勉強の中でもそういう"考える力"を少しでも身につけていって欲しいのです。
 大学の自慢をするのは気が進みませんが、例えば京都大学はそういう「考える力」を身につける力を養うには確かにいい学校です。大学には今までの学校とは比べものにならないくらい色々な考え方の人、変わった先生がいます。特に京大は変わり者が多い学校なので、逆に言えば自分のしたいことをする場所がたいていある(色々な研究会・サークルがあって、他の学部の授業も聞けるし先生に"弟子入り"もできる)ので、自分の意志さえあればどんな勉強でもできます。
 そういう出会いの場所が「いい学校」ではないかと山本は思います。でもそういうことは学校に入るまではわからないので、今はとりあえずこういう目的でこの学校に行きたいという気持ちでいいと思います。でも大学生になったら、人から言われる勉強ではなくて、自分の本当にやりたいことを探すための、世の中のしくみがよく見えるようになるための勉強をして欲しい。そのために今から、ものをしっかり考える力だけは養っておいて欲しいと思います。

 ……ともあれ、1年間ご苦労様でした。よいお年を。来年もいい顔を見せて下さい。(1996/12/23)


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