地震の街から

 山本は2年前、神戸の私立の女子校の教師をしていました。
 あの地震があった日、前夜からカゼをひいてダウンしていましたが、テレビから流れる光景を見てショックを受け、また寝込んでしまいました。今から思ってもホント情けない。
 担任の中1のクラスの生徒にひたすら電話をかけていましたが、何人か連絡のつかない人がいてヤキモキするだけでした。
 ようやく熱の下がった1月20日、決心をして自転車で神戸まで行くことにしました。リュック一杯にぎり飯を詰めて、マウンテンバイクで大阪を出て西を目指す。尼崎を過ぎると街が静かになり、西宮に入ると木造の家が崩れて道がふさがり始め、神戸市内に入ると水や食糧の行列ができていました。

 5時間あまりかかって学校にたどり着くと、他の先生もかなり集まっていました。中3と高3の生徒が1人ずつ亡くなったとのこと、家が全壊した先生もかなりいました。山本の担任のクラス43人の中では5人が連絡が取れていませんでした。学校の打ち合せが終わった後、行方のわからない子の家に走りました。
 三宮の近くのマンションの7階にいた子が、近くの小学校に避難しているらしいということで、30分探し回ってやっと見つけ出しました。本人はカゼをひいて顔中マスクのような状態でした。
 無事でよかった!! 思わずお母さんと3人で泣き出してしまいました。
 灘区の阪神電車沿いの中華料理屋の子は、地震の当日に
 「家が全壊した。当分連絡できない」
 という電話をしてきたきりになっていました。20日には結局見つけ出せず、次に探しに来たときようやく場所を探しだしました。小学校の体育館の中で、お父さんは
 「店の再建のメドが立たないし、実家のある長崎に帰ろうかと思っています」
と言っていました。こんなことで離れていくのは悔しいし悲しい。でもこちらから何ができるわけでもない。山本にできるのは差し入れを持っていくことくらいだったのです。

 生徒本人が学校に来やすくなるように励ましたり気を遣うことを考えました。クラスの中でも、他の県の学校に通っていたり家にこもってしまっている子がいたので、みんなで手紙を書いたりしました。
 終業式の4日前、やっとクラス全員がみんな学校で会えました。春休みはみんなでボウリング&カラオケ大会をしました。中華料理屋の子も来てくれて
 「神戸でがんばるって、お父さん言ってた」と言っていました。
 山本は自分の思いを押しつけてしまったのかな。でも生徒本人にとっては、神戸に残ることがうれしかっただろうと、今でも山本は思っています。
 山本が学校をやめるときも、お父さん・お母さんたちからお礼を言ってもらったりして、恐縮するばかりでした。

 今年その子から年賀状が来ました。「店が再開しました。私も手伝ったんだよ」
 18日の土曜日、久しぶりに神戸を訪ねました。前に来たときはガレキの山だったところに、こざっぱりした店ができていました。
 中3になったその子も、制服のまま店で働いていました。2年前とは別人のように大人っぽくなっていました。
 「何にしますか?」
 何となく胸が詰まって、メニューをろくに見ないで「オムライス」と言ってしまいました。……前にその店の前に何度となく来たとき、壊れたメニューの中にあった"オムライス"が目の中に焼きついていたのです。
 店の中で何か話そうと思ったけど、お客さんもお父さんもいて、本人も何も言わず黙々と仕事をしていました。味もよくわからないまま、じっとその子の背中を見つめながら、あの頃のこと、今の自分のことを考えました。

 学校という場所は子どもにとって大きな存在だけれど、教師のできることはそんなに大したことじゃない、と思っていました。だからこそ自分のできることを全てやり遂げたい、それで体をこわしてしまうのならば自分に合った職場にかわるしかない、そう思ってこの塾に来たつもりです。
 学校をやめたことは後悔していないけど、この地震の中で苦しんだ人たちに対して何もせず「逃げ出してしまった」ことに、後ろめたさのようなものはあります。
 その分だけ納得できる仕事をしよう、今目の前にいるみんなに対して貢献しよう と思いたい。自分にしかできない授業、入試という制約があってもその中で面白い・楽しい理科の授業をしたい。
 それがこの1年どれだけできたのか、と思うと自己嫌悪に陥ります。塾でバイトとして働いていたときと比べて、うまくなったと思えるところも、いい加減になったと思うところもありますが……。

 1年間 山本の授業を受けてきて、どうだったでしょうか?
 もちろん受験生にとっては結果が全てでもあるし、成績が上がらずやめていった人もいます。言いたいことが色々ある人もいるでしょう。そういうみんなの声を聞きながら、神戸にいるあの子たちにし残した分まで、全力投球をしなければいけないと思いたいのです。
 本当にもうすぐ今年度も終わりです。みんなと過ごした時間の中で、山本はそれなりに充実したときも作れたように思っています。でも答を出すのはみんなです。いつも言っているように、この1年で自分なりに成長したと言えるように、悔いの残らないように、そのためにこの塾を、もちろん山本を、最後まで利用しつくして下さい。(1997/1/20)


通信の一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system inserted by FC2 system