合格より大切なもの

 毎年この季節になると、入試前の最後の授業で何を言ったら一番いいのか考えます。
 塾には学校のような卒業式がないので、お別れもあわただしくて、今までのことをゆっくり振り返ることがほとんどできません。(……振り返りたくないって?) でも教師にとっては、みんながここで過ごした時間がどれほどのものだったのか、本当は一人一人に確かめてみたいのです。

 入試には合格者もいれば、必ず不合格者もいます。
 志望校に合格できなかった人にとって、今まで塾に使ったお金や時間や手間ヒマは何だったのだろうか? それは意味がなかったのか? その答は人によって色々です。
 合格発表の後で塾に来てくれる子と会うと、合格した子はみんなうれしそうですが、不合格の子の表情はみんな違います。もちろん元気ではありませんが、ただ黙っているだけの子も、「まあしょうがないよ、またがんばるよ」と言う子も、二人きりになったとたんに泣きじゃくる子もいます。もう二度と塾に来てくれない子も少なくありません。
 そういう一人一人に何を言ったらいいのか、山本にはまだ答が出せていません。でも今までたくさんの受験生を見てきて、山本は
 合格することが一番大切なのではない
と思えてなりません。
 それは「不合格でもがんばった価値はある」という気休めや敗北主義(意味がわからない人は大人に聞きましょう)ではありません。"塾の中で本当に充実した時間を過ごせたかどうかは、受験の本番が始まる前に決まってしまっている"ということです。

 塾でも学校でも、ただ何となく授業を受けて、何となく志望校を決めて(決めさせられて)、何となく受験に臨む人でも、成績が良ければもちろん合格します。逆に教師がいやがるほど質問に来て、ことあるごとに先生にグチをこぼして、授業も志望校の選択も自分なりの目的意識を持ってできる人でも、運が悪ければ落ちます。
 ただ今までの経験から言うと、塾にどのくらい頼るかは別にして、何となくでやってきた人は土壇場での失敗が多いことも、目的意識の持てる人の方が「運良く合格」が多いこともはっきりしています。当たり前のことですが、やるだけやった人の方が受かりやすいのです。そういう人は入試の結果に関係なく、塾にお金を払っている意味はあると思います。

 入試には「絶対」はありません。結果だけを見れば、塾に来ている意味がなかった人もいるのかもしれません。でもみんながこれから生きていく中で、「結果がどうなるかわからないけど、やってみよう」ということは数え切れないほどあります。
 そのときに、結果が失敗だったからといって、やってみたこと自体を否定して欲しくないのです。失敗することによって、自分のこれまでを知ることにも、間違いなく意味があるからです。その第一歩が今目の前にある試験だと思って欲しい。一番大切なのはただの合格ではなくて、「目的意識を持って、自分をとことん試してみた上での合格」だと思うのです。

 ……小6と中3は塾で「卒業祝賀会」がありますが、できればそれとは別に、入試が終わってから一度、電話でも何でも(直接来てくれればうれしいけど)いいから、連絡を下さい。山本の不足だったところ、よかったところ、もっとこうして欲しかったところ、など何でも言って下さい。
 手紙でくれる人も毎年何人かいますが、それは1年間のこの仕事のごほうびのような気がして、とてもうれしいです。……わがままかもしれませんが、できそこないの教師としてのお願いです。(1997/2/4)


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