3年目のマンネリの恐怖

 この塾で働き始めて3年目になります。山本は根気がないというか飽きっぽいというか、同じ場所で3年以上働いたことがありません。
 この塾での1年目は1番授業時間が多く、"国語"なんていうのもあったので、ひたすら授業の準備に追われました。2年目(去年)は小6・中3・高3を持ち受験生との格闘の日々で、しんどかったけどやりがいはありました。……さて今年は?

 授業がうまくなったかどうか聞かれると不安ですが、ここまで来てやっと、少しは仕事に余裕が出てきたようにも思います。初めて教える学年というのがないので、「前にやったことがあるから大丈夫や」と思って油断してしまうことも、恥ずかしながらあります。
 授業などのアンケートを見ると、技術的には「板書が見にくい」と「しゃべるのが速すぎる」というのが課題なので、今年はあいている時間で板書の練習をしようと思っていましたが、3月からで1回しただけ。しゃべるのも緊張してしまうと相変わらず"速い速い"で、中2の人からまだ苦情を言われています。すみません(怒らないから文句はどんどん言ってね)。
 でも一番不安なのは、今の自分に満足してしまって、進歩が止まってしまうことです。

 以前学校の教師をしていたとき、まわりの先生たちがとても生ぬるく感じたことがありました。十年一日という言葉がピッタリ、"昨日と同じように今日を過ごせばいい"ようにふるまっている人がたくさんいてイヤでした。今から思えば思い上がりもはなはだしい……のですが、環境に慣れてしまうとマンネリになってしまうのも事実のようです。そのマンネリを打開して新しい自分を作っていくには、結構大変なエネルギーがいるような気がします。
 この通信にしても、去年作り始めたときは新鮮な気持ちで、書くネタもたくさんあったのですが、最近は「去年と違うものをどう書くか」でかえって困ってしまうこともあります。同じことを書くにしても、去年よりはわかりやすく書きたいのに、文章がそんなにうまくなるわけでもない。なかなか難しいですね。
 でもやっぱり「十年一日人間」にだけはなりたくない。自分の目標をしっかり作って、最後までできなくてもいいから可能性を試してみたい。授業の中身だってまだまだ工夫のしようがあるし、実験ネタだってもっと作れるはず。何よりも、もっとみんなのことがわかるように、みんなの役に立てるような人間に成長しなければ……なんて 時々は思います。

 教師向けの本などを読むと「最近の子どもがわからない、気持ちが読めない」ということがよくのっています。昔と比べてみんなのふるまい方が変わってきているのは確かです。でも初めて教えた中2(今24歳)の人と比べて、みんなの気持ちがわかりにくくなっているとは、山本はあまり思いません。思い上がりかもしれませんが、みんなと一緒にいて他愛もない話をするのが、10年前も今も山本は好きです。「子どもが好きなこと」それだけが自分の才能だと思います。あとは、今足りないところを、少しずつでいいから努力で補っていくだけです。

 勉強しなければいけないことに関しては、生徒も教師も本来同じハズです。みんな以上に、山本は自分のナマケ心と戦って進歩しなければなりません。ここにこういう文章を書いてみんなに読んでもらえば、山本もそうそうマンネリにはなっていられないでしょう……?? というつもりでこんな文章を書きました。
 とにかく文句や意見を言ってやって下さい。まだまだ教師としては4流あたりです。できなかったことができるようになれば、みんながよりわかってもらえる授業ができれば、それが山本がここにいる意味になると思います。ファイト!(1997/5/6)


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