応援しかできない
  〜これからを考えるために〜

 今年は中学生の保護者の人から色々相談を受けることが多いです。
 「家での勉強のしかたがわからないのですが……」
 「しかっても言うことを聞かないんですよ。先生から厳しく言ってください」
 「最近どうしてもやる気が出なくって……」

 親御さんはもちろん真剣に心配しているのですが、言われること全部にこちらが対応できるわけでもありません。勉強のしかたなどの質問にはだいたい答えられるのですが、やる気のない人にやる気を出させるのはとても難しい。
 自分が中学生や高校生だったとき、親はあまりうるさい方ではありませんでしたが、それでも時々は「勉強しなくていいの?」くらいは言ってきました。母親とはずっと仲が悪かったこともあって、親に言われたから勉強するということはまずありませんでした。幸運なことに(?)数学と理科は好きだったので、誰に言われなくても自分で勉強したし、本屋に行って面白い本を探してきて、学校で習わない範囲まで自分で勉強していました。逆に国語や社会は大の苦手で、試験前の一夜漬け以外にはほとんど勉強しませんでした(今でも社会の本を見ると鳥肌が立ちます)。

 みんなが勉強する目的に「受験」があることは否定できません。でも受験のためだけに勉強するというのは、なんだか本末転倒に思えます。人間が学校をつくって勉強をするようになった目的は、少なくとも「受験」ではありません。

 昔の学校には、お金持ちのための趣味や教養としての学問を教えるところ(今のお茶やお花と同じ)だったり、職人が徒弟に仕事を覚えさせるためにつくった「職業学校」が多かったようです。役人を養成するために国がつくった学校もありました。これらに共通しているのは、何を学ぶかは子どもが選ぶのではなく学校側で決められていたことです。本当に自分の勉強したいことが学校の外にある子どもは、学校の中ではやりたいことを我慢するか、学校を飛び出して自分の力で学ぶかのどちらかを選んだわけです(エジソンの話は有名ですね)。
 自分のやりたいことというのは、要するにやっていて面白い・楽しいことです。では遊んでいるのが一番楽しいかというと、そうは限りません。子どもには遊びが必要だし、遊びも勉強の一種です。でも遊びが「ホンモノ」であるためには、その遊びの中で自分らしさが出せなければなりません。
 ゲームセンターのゲームは面白いし、山本もたまにゲームで息抜きをしますが、あの中には「自分にしかできないこと・自分らしさ」はありません。そこで自分の力を伸ばしていって、"世の中で自分にしかできないこと"を見つけることは、多分できません。
 遊ぶことが悪いとは思いませんが、「よく遊びよく学べ」が有名なことわざなのは、遊びも勉強も自分らしさを掘り起こしていく意味では同じだからです。よく遊ぶためには勉強も必要なのです。

 勉強が"自分らしさ"を掘り起こしていくというのは、2つの意味があると思います。1つは「勉強は本当はとても面白いものだ」ということです。自分にとって面白いと思えるものはどんどん勉強していけるし、そこで自分の力を伸ばしていけます。もう1つは「世の中を見る目をつくる」ということです。どんな科目でも、オトナになってから直接役に立つことばかりを勉強するわけではありません。でも、数学で学んだ考え方が、後で思いがけないところで自分の力になったり、高校時代に理科の先生から聞いた原子力発電所の話が、その後の人生を決めたりもするのです(この話もいつかまたね)。自分の身につけた勉強は、色々な形で自分の武器になるのです。

 山本はこんな変な教師ですが、「自分にしかできない、自分だからできる理科の実験や授業をつくりたい」という夢があります。みんなに迷惑をかけていることもあるでしょうが、少しずつでも進歩していけたらいいなと思っています。そしてみんなが、ひとりひとり自分の夢を持って、そのためにこの塾や山本を利用してくれるなら、全力で応援団になることができます。
 受験があるから仕方なく、とか、周囲のオトナがうるさいから、という構え方ではなくて、自分のいいところは何か、それをのばすためには何をしたらいいのか、そして具体的に何を目標にするのか、そんなことを夏休みの間に一度くらいは考えてみてほしいと思います。(1997/7/25)


通信の一覧に戻る

最初に戻る

inserted by FC2 system inserted by FC2 system