考える力って何?


 新聞に「新学力テスト」の結果についての記事が載っていました。文部省は、何年か前から「新学力観」という言葉を出して、学校の先生に「今までの教え方ではいけない。こういうふうに教えなさい」という指導をしています。それによると「子どもの個性を尊重し、自分で考え判断する力や自ら学ぶ意欲を育てる」のが大事だということです。(山本も一度こういう内容の研修に行きました)
 自分で考える力が大切なのは全くその通りでしょうが、実際に今の学校や塾で、どれだけ自分で考える練習をしているか? と考えると、大いに疑問です。考える力をつけるには、
 ・ある問題に対して、自分の考え(意見)を頭の中でまとめる十分な時間があること。
 ・自分の意見を言う機会があること。それがまちがっていても怒られたり笑われたりしないこと。
 ・他の人の意見を聞き、それについて意見を言い合い議論する機会があること。
 ・問題に対する理屈にかなった考え方を、後で教師がきちんと説明すること。つまり自分の考えが(教科書通りでなくてもいいから)正しいかどうかの確認ができること。
 最低このくらいの条件がいると思います。そうすると残念ながら、今の山本の授業で考える力がつけられるとは言い難いですね。"自分の意見を言う"というところから見ると、ちょっとうるさくていつも「静かにしろ!」と怒られているクラスの方が、かえって考える練習ができているのかもしれません。入試に合格するためという意味で言うと、なかなか話し合うような授業ができないことも事実です。
 ある問題に対する考え方(解き方)は1つとは限りません。数学などでは特にそうですが、難しい問題になるほど、何通りもの解き方・考え方・筋道の作り方があるのが普通です。

 高校生くらいまでは、問題を解くこと・正解を出すことが勉強の目的のようになっています。みんなが"勉強する"と言えば、問題を正確に解くために解き方や知識を頭に入れることになるでしょう。受験勉強は特にそうです。ひどい言い方になると、大事な言葉や解き方を覚えれば入試問題はだいたい解ける、ということにもなります。山本もこんな言い方をするときがありますね。悪く言うと、みんなの頭を"問題のボタンを押すと答が出てくる自動販売機"につくりかえているようなものです。自分の意見を言えない"自動販売機"のような頭しかないオトナも世の中には少なからずいますが、そういう人たちはニセモノの勉強をしすぎたのでしょうか?
 ところが大学に行くと、問題を解くことよりも、問題の裏に隠れている考え方や理論、また問題の答・結論から何が言えるか、さらにその問題を発展させて次の新しい問題を自分でつくり出せるか、といったことが大切になります。解き方のわかっている問題を解くだけでは、問題をつくった人の世界をこえることはできません。それでは、世の中でまだ発見されていないこと・新しいことを見つけられないからです。
 「空はなぜ青いか?」という問いに答えるのは、そう難しいことではありません。でも「空が青いことから何がわかるか?」と考えたり、「空が黄色く見えるような場所はあるか?」と発展させたり、「空は青く見えるけれど、空は空気で無色なのだから、本当は青く見えているのは空ではなく別のものではないのか?」という新しい疑問を持ったりするには、知識だけではダメです。自分の持っている知識を組み合わせてみる想像力や、今までになかった発想をつくり出す創造力が必要になります。問題が解けるだけでは通用しません。
 これは大学だけのことではありません。社会に出て仕事をするようになると、覚えた知識だけでできる仕事はあまりないし、第一そんな仕事は面白くありません。

 入試でも、難しい問題や見たことのない問題になるほど、知識だけでは解けなくなります。高校入試の理科の問題を細かい解き方のパターンに分けていくと、おそらく1000以上のパターンを覚えなければならなくなります。大学入試はもっと多いでしょう。そんなことはできないし、山本も解き方をいちいち覚えているわけではありません。それよりも、1つの問題を解いたときに、そこから他の問題にどれだけのことが応用できるか、それを考える力の方がはるかに大切なのです。あまり勉強に時間をかけていないのによくできる人は、たいていこの応用力がついています。すぐにその人のマネができなくても、自分で意識的に立ち止まって考えてみる習慣をつけることはできます。
 もう1つ大切なのは、人の言うことを鵜呑みにしないことです。教科書に書いてあるから、先生がそう言ったから、正しいに決まっている…… のではありません。学校や塾の先生だってまちがえることはあります。教科書だって絶対正しいとは限りません。今から500年前の教科書には「太陽は地球のまわりを回っている」と書いてあったし、100年前の教科書には「日本は神の守っている国だから、いざとなったら神風が吹いてみんなを守ってくれる」と書いてあったのです。そこで教科書を信じ切っていた人は、結局本当のことがわからなかったわけです。人の言うことを信じるのではなく、自分で納得できるまで考えるのが本物なのです。
 もちろんすべてを1から考えるのはムリです。"維管束"とか"無脊椎動物"とかの言葉そのものは覚えなければならないでしょう。また実験などでわかる事実や公式は受け入れなければならないでしょう。でもそれらにしても「なぜこういう名前なのか」「なぜこうなるのか」を考えることには意味があります。丸暗記は最後の手段なのです。

 世の中には色々な人がいて、色々な意見があります。どの意見が正しいのか決めるのは、最後にはあなた自身です。みんながこうしているから、とか、あのえらい人がそう言ったから、ではなくて、自分で本当に正しいと思うことをしてほしい。今している勉強にしても、丸暗記や鵜呑みではなく、自分で判断する力をつけるためのものだと思えてほしい。
 山本も世の中やみんなのことについて、自分なりの意見を持っています。時々授業で脱線してそんな話をしてしまうこともありますね。でも「先生がそう言ったから、それがすべて正しい」とは思わないでください。教師を信頼することと、教師の言うことを信じ込むことは違います。山本はみんなに信頼されたいとは思っていますが、みんなに山本のマネをしてほしいとは思っていません。他の先生やオトナや仲間についても同じです。理屈で納得できないことには「納得できない」と言い張っていいし、考え方が違うなら「そうは思わない」と言っていいのです。いつも言っているつもりですが、自分の考え・意見を言える人になってほしいと思います。結局それが成績にもつながるし、これからのみんなの人生の納得できるものにしてくれるはずですよ。
(1997/10/4)

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