結果はまだまだ出ない


 いよいよ入試の本番です。中学入試は1月15日から、17日からは大学入試のセンター試験があります。
 試験をひかえてノンビリしすぎている人もほめられたものではありませんが、焦って"どうしよう、どうしよう"とばかり考えて、するべきことができない人がもっと心配です。
 こういうとき、教師ができることはあまりありません。勉強を教えることと違って、生徒本人の心を支えるには、その生徒の心がある程度わかっていないとできません。山本はそうなりたいとは思っていますが、なかなかできません。そんなオトナが知ったかぶりでえらそうなことを言っても、たいてい頭の中を素通りしてしまうものです。たとえば
 ★人事を尽くして天命を待つ;もっともですが、凡人にはなかなかできません。これは「これ以上はもう勉強できん、これでダメならもうしかたがない」と思えれば実力が素直に出せることが多い(あがらずにすむ)という意味でしょう。
 ★練習はウソをつかない;昔あるプロ野球選手が言っていた言葉です。いい言葉だと思いますが、今まで十分練習してこなかった人にはイヤミに聞こえるだけかもしれません。

 ……山本は、あまり支えにはならないかもしれませんが、むしろ
 「この試験の結果が一番大事なのではない」と考えてほしいです。
 合格するためにここまでやってきたのだし、こちらもそのために体を削って? つきあってきたのですから、合格してほしいに決まっています。でも、試験に失敗したら今までのことがムダになるとは思いません。みんながここに来ている一番の目的は、志望校に合格することではないのです。
 去年担任した中3(今の高1)の人に時々会います。公立高校の受験に失敗した人もかなりいます(お母さんと一緒に泣いたなあ)。でも受かった人と失敗した人の顔つきを見ていて、違いがあるとは思いません。その人の人生が、入試に失敗したことでよくない方向に行くとも言えません(私立に行くとお金がかかる、というようなことはありますが)。入試の結果が人生にどうつながるか、そんなことは誰にもわからないのです。
 たとえば「東大に入って、大蔵省に入って、国を動かす役人になる」という夢を持っている人にとっては、大学入試に失敗することはソンかもしれません。でもその夢がその人にとってベストかどうかは、本当は本人にもわからないのです。その夢に失敗することで他に道が開けることだってあります。人生なんてそんなことの繰り返しです(おじさんっぽいなあ)。

 山本の父親は中学で英語教師をしていました。学校が荒れていた時代で、夜中に警察から何度も呼び出されたり、胃潰瘍になって胃を切ったりしながら仕事を続けているのを見てきました。山本はそんな父親を見て「教師にだけは絶対になるまい」と思っていました。どちらかといえば上に書いたような役人兼研究者に憧れていたのです。でも大学や大学院で実際の役人や研究者に会って、夢が変わってしまいました。結局本気で教師になろうと思ったのは28才の時です。
 今まで何回も路線変更したのがよかったのかどうかはわかりません。1つだけ言えるのは、今までの回り道も失敗もムダになっていないということです。自分がはじめから教師をめざして今の仕事に就いていたら、教師としての技術はうまくなったでしょうが、人間そのものを受け入れる力は今よりなかったと思います。本気でそう思えるようになったのはあの地震の後、この塾に来てからです。30才をすぎても、人生の結果なんてわからないのです。自分の一生をかける価値のあるものを見つけ出すには、たくさんの時間と手間と回り道が必要なこともあるのです。
 みんなが今 目の前の目標に向かうとき、長い目で見て一番大事なのは「自分の目標をつくり、それを達成するための工夫と努力をする」ことです。結果よりもその方が大切なのだと思います。
 それに入試の結果に関係なく、今までに学んだ理科の知識は一生役に立ちます。たとえ将来理科を使わない仕事に就いても、考え方をきっちり学んだものは一生あなたを支えてくれます。
 そして入試の結果が出たとき、結果そのものと別に、自分が本気で勉強に取り組んだかどうか、努力したことがどれだけ身についたのか、目標に対して納得がいくまで力を出しつくせたか、もう1度振り返ってみてください。そのときに、この塾がどれだけ役に立ったか(立たなかったか)わかるでしょう。みんながこの塾を"卒業"するときに、ここで過ごした時間の重さがどれほどだったか教えてくれたら、それが山本にとって一番うれしいことです。
 とにかく悔いの残らないように、自分の力を100%出してほしいと思います。がんばろうね。(1998/1/15)


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