翼を見つけるために


 この通信も丸2年続いたことになります。どれだけの人が読んでいるのかわかりませんが、「読むのを楽しみにしています」と言ってくれる人もいるので、紙と時間のムダ遣いではないと信じたいです。
 塾の教師という立場で見れば、こんなものをつくる必要はないでしょう。その分授業の準備をした方がいいのかもしれない。それでも山本がこの通信にこだわりたいのは、自分でなければできないこと・自分でなければ言えないことを大切にしたいからです。理科の教師としてできることもあるけど、みんなとこの場所で出会えた仲間として、自分の思い・願い・わがまま(?)・本音を伝えることで、山本とみんなとの間に何かが生み出せたら、しんどい思いをして通信をつくっている甲斐はあると思っています。

 勉強は何のためにするのか、考えたことがありますか。
 高校や大学に合格するため、でしょうか。それだけではないよね。
 いい学校・いい会社に入って、えらくなるため? これだけでもないでしょう。
 社会に出て生きる力をつけるため、と言う人もいますが、今習っていることがどれだけ将来役に立つのか、山本にも保証はできません。
 オトナになって本当に役に立つようなことは、入試問題にはあまり出てきません。入試はただ、たくさんの知識を覚えてはき出す力と、知識を元にしたパズルを解く力を試しているように思えます。新学力観といっても、何をどう考えるかについて枠がはまっている限り、本当の考える力などつきません。入試のための勉強に閉じこもってしまうくらいなら、点数にならなくても納得するまで疑問を抱き続ける方が、本当の勉強のためになるかもしれません。
 山本は「勉強が役に立つ」ということに半分は賛成です。ただ、偏差値の高い学校に入るためや、オトナになって直接役に立つことを身につけるためではなくて、勉強とは今から書く「2つの翼」を身につけるための長い旅だと思うのです。

 太陽は地球のまわりを回っているのだ(天動説)と昔の人が信じていた頃、そうではないと言った人は裁判にかけられて死刑になったりしました。裁判で無理矢理天動説が正しいと言わされたガリレオという人の「それでも地球は回っている」という言葉は有名です。
 ガリレオが命がけで本当のことを知ろう、知らせようとしたのは、お金のためでも科学者としての名誉のためでもなかったと思います。
 ガリレオが、地球が太陽のまわりを回っていることを確信したのは、先生に習ったからでも教科書に書いてあったからでもありません。自分の持っていた"なぜだろう"という気持ちを大切にして、自分の観察した事実を証明できる・納得できる理屈を考え続けたからです。途中でまちがった考えにとらわれたこともありました。でも自然にきちんと向き合って勉強する意志があればまちがいはきっと直せるし、今まで見えなかったものが見えるようになるのです。ガリレオの人生はそれを証明しています(ぜひ伝記を読んでください)。
 勉強が面白いと思えるとしたら、そういう「見えなかったものが見える」ときだと思います。それはおそらく、人間にとってかけがえのない生きがいの1つでもあります。自然や人間や社会に対する新しい発見の積み重ねの上に、今の世の中があることを思えば、勉強こそが人間が人間である証です。勉強とは、人間や社会や自然をより深く知るために人間に与えられた"ツバサ"なのです。……そしてみんなも山本も、人間が勉強していく歴史の1ページに、まぎれもなく一緒にいるのです。
 新しいものの発見といっても、世界で初めてである必要はありません。誰かからの押しつけでない、自分が考えることによって初めて見つけ出したものであれば、みんなにとって立派な発見であり勉強なのです。本当は学校でも塾でも、自分なりの発見や感動がたくさんある授業をするべきです。
 そしてもう少し言うと、見えなかったものが見えたとき、それに対して自分がどう考えどう行動するのか、そこに人間の本当の価値が問われると思います。
 ガリレオが天動説をウソだと見破ったとき、それを他の誰にも言わなければ、裁判にもかけられなかったし、しんどい思いをしなくてすんだはずです。それでも彼は本を書き、天動説はまちがっていると言い切りました。それが自分の勉強を活かす道だとわかっていたのです。
 誰も逃げられない自然や社会や人間との関わりの中で、自分の持っている発見や知識のツバサをどうやって活かすかを考えることが、もう1つの"ツバサ"なのです。
 どんな人間にも、世界中でその人にしかできないことがあります。それは目立たないかもしれないし、後の世には残らないかもしれないけれど、誰にでも世の中と関わりながら世の中を変えていく力があるのです。それは「世の中や自然が自分の目できちんと見られること」「自分の力や知識や発見を、世の中との関わりの中で役立てること」という2つのツバサがあれば、誰にでも、テストの成績などには全く関係なく、できるのです。
 山本がこういう考え方になったのは、大学を卒業することでした。みんなが"ツバサ"の重さを感じるのも、もっと後のことになるかもしれません。今は目の前の目標に向かって努力するのもいいと思います。入試以外のことに実感が湧かない人には、
 勉強は自分ひとりのためにするものではない こと
 自分の中の「なぜだろう」をたいせつにしてほしいこと
 人間は1人だけで幸せにはなれないこと
 の3つを心に留めておいてほしいです。

 塾の年度は2月で終わりです。山本の授業から離れる人、塾から卒業する人もいますが、相談などにはいつでものりたいと思っています。塾を卒業する人とは、これからは教師としてより「仲間」として接していけたら、とも思います。3月からも授業を持つ人はウンザリしているかもしれませんが、まぁお互い言いたいことを言いながらいい関係になりたいですね。山本もいい教師になりたいという初心に戻って、次のシーズンに入りたいと思います。
 1年間つきあってくれてありがとう。これからもよろしく。(1998/2/21)


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