思うことは誰にも止められない


 この通信を読んでくれている人がどのくらいいるのか、よくわかりません。小6の人と話していたら「文字だらけで読みづらい」と言われました。あんまり絵を入れる余裕がないのも問題かな。小学生に合わせた文章を書くにもまだ練習不足かもしれません。
 中2の人からは「毎週こんな通信をつくって大変だね」と言われました。こう言ってもらえるとうれしいです。でも通信をつくるのはあまりしんどくありません。誰かに言われて書くのではなく好きでやっているので、苦痛にはならないのです。言いたいことを言える場所として、みんなとつながりを持つ方法の1つとして、この通信は大切にしたいと思っています。

 ある高校の先生の話によると、クラス通信を先生がつくって生徒に配っても、先生の目の前でクシャクシャにして捨ててしまう人がけっこういるとか。こうされたら山本でもさすがにショックですが、みんなはそういうことはしないですね。マナーをわきまえているということでしょう。
 山本は理系の人間で、学校の作文の点数は悪かったし、作文そのものも嫌いでした。それは書くテーマが決められていたからです。○○について書けと言われても、思い浮かぶことがなかったりうまく書けないとそこでもうダメ。読書感想文なんて全然ダメ。何をどう書いていいのかまるでわかりませんでした。でも手紙を書くのは好きでした。自分の書きたいことを、読んでほしい人に書くのはドキドキして楽しかったし、返事をもらえればもっとうれしくなりました。中3のとき英語の先生と「英語の交換日記」をしたこともあります。(これは英語の力をつけるのにとても役立ちました。みんなにもお勧めです)
 きちんとした文章を書くのは、自分の頭の中を整理しないとできないことです。考えたり感じたりしていること文に直すのは、絵や音楽と同じように、自分を表に出す・表現するいい方法です。文章がうまいとか下手とかと関係なく、言いたいことを言うのが気持ちいいのです。
 人の考え方には色々あります。あなたと私の考え方は違うのがあたりまえなのです。感じ方や考え方が違うから、色々な人がいて面白いのです。自分の思いや考えを人に伝えるのは、しゃべるか書くかのどちらかですね。話すのはすぐやりとりができて簡単だしラクですが、ゆっくり自分の考えを確かめながら表すのには不向きです。勢いや流れで話すだけでは、考えを深めるのは難しいこともあります。
 人間の心は複雑です。いいことばかり考えるわけではありません。「山本先生イヤやわ〜」とか「今日は塾をサボりたい〜」とか「こんなやつなぐってやりたい!」とか思うこともあるでしょう。でもどんな内容でも、思うことそのものは止められないのです。頭に浮かんでしまうことはいいも悪いもしかたないのです。それを見つめ直して自分の気持ちを整理するためには、書くことは大変役に立ちます。
 また、自分のしたいことをじっくり考えるのにも、書いてみるのは有効です。よく学校の作文で「将来の夢」というのがありますが、これも自分を見つめ直すことを目的としています。別に人に見せるためではなく、「○○の仕事をしたい」とか「歌手になりたい」とか書いていくうちに、突き詰めて考えたり本気になったり気が変わったりするものです。
 結局山本がこんな文章を書いているのも、みんなのためではなく自分のためということでしょうか? 自分の気持ちを整理して見直していくために、こういうものをつくっているのかもしれません。まあそれでも、みんなの参考になる部分が少しでもあればいいかな。山本の意見や考えが正しいとは限らないし、「これは違うぞ」「このへんはわかるなぁ」「こんな考えの人もいるんだなぁ」という気持ちを持ってくれれば十分です。

 この塾では作文コンクールというものがあります。作文を書くのはいいことだと思いますが、どれがいいとか悪いとか決める必要はないように思います。それよりも自由にできるだけたくさん書いて、自分の中に隠れている面白さを掘り出していく方が意味があると思います。3年前に小6の担任をしていたときには、毎月自由なテーマで作文を書いてもらって、全員分を印刷してみんなで読みました。それでみんなの知らないところがわかったり、思わぬ?才能が見えたり楽しかったです。
 手紙を書くとか日記を書くとかどんな形にしろ、書くことによって自分を表現したり自分自身の中身を探ってみるのは楽しいことです。そんなふうに考えてもらえたら…… と思います。(1998/11/3)


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