子どものストレス、オトナの寂しさ


 塾は2月で年度末です。みんなも区切りの時期を迎えようとしています。山本は、この塾に来てもうすぐ4年になります。
 去年は入院したり長い間仕事を休んだりで、個人的にはなかなか大変でした。病院にいるとき、塾の生徒からお手紙をもらったのはとてもうれしかったです。
 自分の病気はなかば「心の病気」で、まだ完全に治ったとは言えなくて、少し不安を抱えながら仕事をしています。仕事を休んでいる間に、心の病気の本をたくさん読みました。この通信に載せている「ブッダとシッタカブッダ」も、そのときに読んだものです。
 恥ずかしい話ですが、山本には親に甘えたり抱きしめられた記憶がありません。小学校に入る前に母親を亡くし、義理の母親とは仲が悪く、家の中であまり居心地がよくありませんでした。早く家を出たくて、高校を卒業してから一人暮らしを始めましたが"せいせいした"感じで、ホームシックなど感じませんでした。結局それから親と暮らすことがないまま、父親を亡くしてしまいました。家族と暮らしていた頃のことは、もうあまり覚えていません。
 「病気の原因は、小さいときの育ち方と関係あるらしい」と医者に言われ、親のことを思い出したり、親に愛されなかった子どもの本を読んだりしました。世の中には、自分なんかとくらべものにならないほど、親からひどい仕打ちを受けた子どもがたくさんいる。外から見ると普通の家に見えても、子どものそのままを認められず、成績でしか子どものいい悪いを見分けられない親もいる。そんな子どもが親になっても、子どもの愛し方がわからず、また自分の子どもを突き放してしまう。……そんなことが書いてある本を読むと、自分が親になることがコワイ感じがします。
 程度はどうあれ、そんなふうにして家でストレスを受けた人は、学校とか塾とか、どこか家以外で「そのままの自分でいられる場所」を見つけようとするのでしょう。塾でやたらと元気な人が、家でも元気とは限らないのですが、そのわけもわかるような気がします。山本もそうだったから。
 そうして"愛情不足"で育つ中で、子どもを虐待してしまったり、他人とうまく関われず家に引きこもったりする人もいるようです。そういう苦しんでいるオトナの集まりにも出てみましたが、出口が見えずにもがいている人たちの話を聞いていると、山本が持っている「親に甘えられなかった寂しさ」なんて、やっぱりとるに足りないように思えます。でも山本は山本なりに、小さい時に与えられなかった何かを取り戻すために、今から何年かはまだ手探りしなければなりません。
 山本は、教師という仕事をイヤだと思ったことがありません。失敗はするししんどいこともありますが、子どもといると自分の中に隠れている寂しさから抜け出せるからです。
 「愛する・愛される」という言葉が、山本には実感としてわかりません。でもみんなと関わりながら、もしかしたら人を愛することの意味がわかるかもしれない……という思いはあります。
 学校では優等生で勉強ではほとんど苦労したことのない山本が、ずっと寂しさを抱えたまましょったままここまで来たというのは、「勉強ができても寂しさはなくならない」という証明です。もちろんどんな人にも寂しい時はあるし、それに耐えるのもヒトとしての力ですが、自分を支えきれないくらいしんどい思いをすることは避けたい。そのためには、子どもの時にありのままの自分を認めてくれる誰かがいないと難しいように思えます。
 世の中 自分の思うようにならないのが普通ですから、家の外ではある程度「そのままでない自分」でいるしかありません。でも、たまったストレスを外に出して、ありのままの自分でいられる場所を見つけていてほしいです。……ほとんどの人は家でそれができるのでしょうが、そうでない人はどこかに息抜きの場所と相手を見つけておかないと、いつかパンクしてしまうかもしれません。塾がそういう息抜きの場所になるなら、それでもかまわないと思います。授業の後でとりとめのない話をしてから帰っていく人を見ていると、勉強以外でも塾が役に立っているのかなあ、という気がします。
 勉強も大切ですが、自分自身をごまかさずに生きていける自信はもっと大切です。たまにはそんなことも考えながら、前を向いて、まっすぐ歩いていけるようになってほしいです(山本もがんばります)。 ……3月からもよろしく。(1999/2/23)


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