選ぶ意味・選べない意味
6月からクラス替えで、何人かクラスが変わりました。T校の中2の人は特に大幅に異動しました。
……自分のクラスがどこであっても、勉強することそのものは同じです。どのクラスになっても、目標を持って努力してほしいと思います。授業から外れても相談にはのりますよ。
新しいクラスは、先生たちが会議をして決めます。それぞれのクラスの人の成績を見比べて「この子はこのクラスに行って大丈夫だろうか」とか「この子は残念だけどこっちのクラスにするしかないかなー」などという話し合いをします。基本的には成績順で決めるのですが、ギリギリのところにいる生徒をどうするか、かなり悩むこともあります。
みんなの色々な面がわかるいい機会なので山本はこの会議が割と好きなのですが、みんなの勉強するクラスを教師側の一存で決めていいのか、ひっかかることもあります。
浪人生が通う予備校では、自分の行くクラスは本人が決めることが多いです(人数の関係で断られることもありますが)。同じレベルのクラスでも何種類かの授業があって、生徒が自分の好みで先生を選ぶ余地が少しはあります。「俺は山本先生の授業が面白いと思う」「そうかなあ、あんなしょうもないギャグを言う人より、私はS先生の授業がいいわ」という感じになるわけです。
山本が高3の化学を担当していた時は、ある程度は生徒にクラス(特進か普通か)を選んでもらっていました。最初の2ヶ月はこちらで分けておいて、その後どちらのクラスがいいか聞いて、その意見に沿ってクラスを分けます。力のない人が特進の授業を受けてわからなくなっても、「質問の相手はするけど、授業についての文句はつけないで」と言って突き放します。それは、高3になれば自分のクラスを自分で決める力があるだろうし、それができない人は結局伸びないと思っているからです。
中学生のみんなには、自分のクラスを選ぶ力はあるのでしょうか。
みんなが、自分のクラスを自分で選んでいい、と言われたら、どうしますか。
自分の実力または目標に合ったクラスを選ぶのではなくて、「○○さんと同じクラスがいい」「××先生の授業を受けたい」「自分の実力はこれくらいだろうけど、それを自分で言うのは恥ずかしい」などということが起こるでしょうか。一度考えてみてほしいです。
もっとも今のこの塾の形では、みんなの希望を受け入れることは難しいでしょう。生徒の人気が特定の先生に集中すれば、そのクラスはパンクしてしまいます。成績か何かで定員を決めてあふれた人を別のクラスにすれば、「本当はあのクラスで受けたかったのに〜〜」という雰囲気になるかもしれません。人気のない先生は授業が減って給料まで減るかも? しれません(これは悪いことかどうかわかりませんが)。みんなが上のクラスをめざす今の雰囲気では、実力がないと思っている人にはクラスを選ぶのが苦痛になるかもしれません。
本当はどんな先生にもいいところがあると山本は思うのですが、何となく雰囲気だけで先生を選んでしまうことがあれば、先生のいいところを見つける機会がなくなって「人を見る勉強」ができなくなるかもしれません。
この塾で、生徒がクラスを選べるようになるかどうかは、山本には何とも言えません。でも理想を言えば、小学生でも中学生でも、学ぶ内容や難しさとか先生を自分で選べる力をつけてほしいです。そのためには、生徒がクラスを選ぶ形にした方がいいように思います。多少選びまちがいや不純な動機? があっても、それが自分のためにならないことがわかれば、いい勉強になるからです。
山本は本当は、成績別でクラスをつくって勉強することがいいとは思いません。成績別にすればたしかに勉強の能率はよくなりますが、人間が賢くなるには能率を度外視した部分も必要です。色々な人が混ざっている方が、本当はいい勉強ができるはずなのです。このへんの話はまた別の機会にしましょう。
今のみんなには、あまりクラスにこだわってほしくありません。今あなた自身のできることをどれだけサボらずにやっていけるか、そこにこだわってほしいと思います。(1999/6/1)
いつの間にやらコーヒー牛乳
中2で実験をしたら、授業の後で男の子が何人か「なんかしてみたい」と言って実験器具をさわりに来ました。炭酸水素ナトリウムを加熱してみたり、紙を蒸し焼きにしてみたり、フェノールフタレインを紅茶に入れてみたり(なぜ紅茶があったかはナイショ)。そのうち試験管の中味がコーヒー牛乳みたいになってしまいました。ここまできたら飲んでみたかった?(ウソです。絶対飲んではいけません) でもこんなふうに自由に色々試してみる時間があってもいいよね。みんな楽しそうでした。自分から片づけをしてくれていたのもGoodでしたよ。
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