勉強のセンスについて


 山本がみんなの成績について書くとき、よく「センスがある」という言い方をします。「理科のセンス」とは何か? ちょっと説明してみます。
 たとえば「試験管に水を入れて加熱するのに、水はどのくらい入れればよいか?」という問題があったとします。(答は試験管いっぱいの約4分の1)
 なぜ4分の1かというと、振ってもこぼれず、沸騰してもあふれず、それでいて少なすぎない量ということです。  ……が、そう言われても、実際に試験官を振ったことのない人にはピンと来ないのが普通です。実際にやってみたつもりになって想像することができない人は「とにかくこの問題の答は"4分の1"なんだ」と覚えることになります。これは明らかにソンですね。
 試験管を振った経験がなくても、ヤカンや鍋でお湯を沸かしたり、ビンに入ったジュースを遊びで振ったりしたことがあれば、何となく答の想像がつく人もいます。そういう自分でやったつもりになって想像する力を、山本は"センス"と言っています。
 こういうセンスは、生活の中で色々な経験をしていないと身につきません。身の回りの植物をよく見ている人には植物についてのセンスがあるし、家でもの運びをしたり色々な道具を使ったりする人は、力の問題を解くセンスを磨いているわけです。
 勉強は、学校や塾の授業の中だけでするものではありません。特に理科は「自然科学」ですから、色々な生きものや身の回りの機械や現象によく触れているほど、センスがよくなりやすいことになります。包丁をよく使う人は圧力の理屈がよくわかるし、水泳部の人は「水圧が深さに比例する」ことがたやすくわかるかもしれません。
 ただし、何も考えず漠然と物事をこなしているだけでは、なかなか勉強と結びつきません。包丁をどう使ったらよく切れるか、どうしたら早く泳げるか……そういうことを考えて色々工夫してみることが、包丁にも水泳にも勉強にも役立つわけです。要するにどんなことでも、頭で理屈を考えながら試してみるのが、センスを磨くことになるのです。うまくいけば一石二鳥ですね。
 みんなは学校の勉強と普段の生活を別々のものと感じているかもしれませんが、もともと勉強と生活はお互いに役に立ち合うものです。机にかじりついているだけの人は(あんまりいないでしょうが)目先のテストの点はいいかもしれませんが、本当の意味でのセンスを伸ばせないと、時間をかけて勉強しても成績が伸びないことにもなります。また何も考えずに物事をしている人も、勉強が生活に結びつかないという意味ではソンをしています。
 考えることと行動することは、両方うまくできて一番いい状態になるわけです。そのへんがうまくわかっている人は、あまり机に向かう時間がなくても成績がいいものです。これは理科だけではなくすべての勉強に言えることです。  要するに、生活そのものすべてが勉強の役に立つし、すべての勉強もまた生活の役に立つのです。みんなに少しでもそういう感覚がわかってもらえるといいな、と思います。(1999/6/29)


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