えらい人って誰?


 みんなと話していて、時々こう聞かれます。
 「山本先生と○○先生とどちらがえらいの?」
 「この塾で一番えらい人って、誰?」
 山本は半分茶化して、「この先生の方がえらいよ」とか「○○先生の方が給料は高いだろうなあ」などと言ったりすることもあります。
 ……が、この手の質問には、模範解答があります。
 「えらい先生とかえらくない先生とかいう区別はない。先生も生徒もみんな、人間としてえらい」
 昔の世の中には、えらい人とえらくない人の区別がありました。江戸時代は武士が一番えらい世の中でした。54年前に戦争が終わるまでの日本には、色々な意味でえらい人とえらくない人の区別がありました。
 でも今は「人間はすべて同じようにえらい」という世の中になっているハズです。"ハズ"というのは、昔の考え方が残っていて、こういう人はえらい、という思い込みがあるからです。
 「社長さんは普通の社員よりえらい」「先生は生徒よりえらい」「男の人は女の人よりえらい」……
 はっきり口に出さなくても、そういう考えを持つ人もいるでしょう。みんなが「えらい先生は誰?」と聞くのも、そういう思いを含んでいると思います。山本にも「先生はえらいのだ」という思いが頭の中のどこかにこびりついていて、いばったような態度になってしまうこともあります。
 たとえば、テストで100点をとるとか、ピアノで難しい曲が弾けるとか、プロ野球選手がいい成績を残すとか、医者になってたくさんの人の命を助けるのは、えらいことかもしれません。でもそれはその「こと」がえらいので、そのことをしている人が他の人よりえらいとは言えないのです。
 社長というのは、社会の中での1つの役割です。社長が他の社員よりえらいというのは、野球でピッチャーが一番えらいというのと同じです。1人の人間がずっとピッチャーをするわけではないし、ピッチャーだけで野球ができるわけでもありません。社員ひとりひとりの仕事がなければ、社長がいる意味などありません。
 テストで100点をとるチャンスが誰にもあるように、誰にでもえらいことをするチャンスはあります。野球が得意な人は野球で、絵が得意な人は絵をかいて、人にやさしくすることが得意な人はそういう仕事で、誰でもえらいことをすることができます。だから「誰でもみんなえらい」と言えるのだと思います。
 どこかのマンガで「職業に貴賤はないが、同じ職業の中で貴賤がある」というセリフがありました。先生がえらくて生徒がえらくない、という区別はありませんが、先生として「いい仕事」と「よくない仕事」の区別はあると思います。山本は下手な教師ですが、みんなが納得できるようないい仕事ができるようになりたいです。人のために働いて世の中の誰かに喜んでもらえるのが、中身に関わらず「えらいこと」だと思います。
 みんなはまだ子どもですが、子どもとして「えらいこと」ができます。それが何かは今はまだ言えませんが、みんなには無限の可能性があります。自分の得意技で人の役に立って喜ばれることが、その人にとって本当の幸せだと思います。今みんながしている勉強も、自分の可能性を見つける作業の1つだと思えたらいいですね。(1999/11/9)


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