アンチ・カリスマ


 カリスマというのは「無条件に信じられるようなえらい人」という意味だと思ってよいでしょう。
 たとえばどこかの広告でこういうのがありました;

 だからダサイ! 君のヘアここを変えたら?
 流行の最先端を行くカリスマ美容室○○のスタイリストが提案する、
 あかぬけた男になるためのヘアスタイルアドバイス。before、afterの写真に納得。


 自分の髪型くらい自分で決めたらいいがな、などと山本は思うのですが、カリスマと呼ばれている人に「あなたはこういうヘアスタイルがいい!」と自信たっぷりに言われると、妙にうれしくなって納得しまうこともあるのでしょう。
 「ライフ・スペース」の事件で、死後数ヶ月たってミイラになっている死体を"まだ生きている"と言う人も、指導者の言うことを信じて疑わないという意味では「カリスマに従っている」という気がします。
 みんなには、"カリスマ"というものは縁遠いものに思えるかもしれません。
 山本は7年前、京都の別の塾で中3の理科と数学を教えていました。この塾の特進クラスのようなところで、生徒は29人。週4日の授業に加えて日曜日は入試問題演習、夏期講習は朝10時から夜10時まで、年明けはなんと1月1日から特訓。宿題を忘れた男の子を夜中の4時まで残して勉強させたこともありました(今思うと我ながら信じがたい)。
 教える方も教える方ですが、ついてくる生徒も生徒です。たいした教師でもないのに、山本はそこではまるで"カリスマ"のようになっていました。「これが解ければ絶対○○高校に受かるんだ! そのためにこの問題集を1日3問ずつ、2月までに全部解くんだ!」などと言っていました。
 入試が終わって、みんなでカラオケ&ボウリングに行ってしゃべっていたとき、ある男の子が
 「先生にはウソついてた。本当はあの問題集は一問も解いていなかったんだけど、解いたことにしてた」
と言いました。もう1人の女の子が「実は私も……」
 2人とも本命の高校に受かっていて、山本は怒る気にもなりませんでした。しかし後で考えてみると、この子たちは(サボっていたとも言えますが)山本の言うことを鵜呑みにしないで、受かるために必要なことを自分で考えてやっていたという点で、頭がよかったのだということに気がつきました。
 誰かの言うことを疑わずに信じるのは楽なことです。新聞に書いてあるから本当に違いない、教科書に書いてあるからウソのはずがない、あの有名人がカッコイイというのだから間違いない、などなど。
 そこで「本当かな?」と疑い、正しいかどうか自分で考えて結論を出すのは大変なことです。でもそれができるようにしておかないと、いつかどこかの名もない"カリスマ"にだまされてしまうことになりかねません。人の言うことに対して疑い考える力を身につけるのも、勉強の目的なのです。
 山本にとってあの「カリスマの1年」はいい思い出ですが、あの時と同じことをしてはいけないという気持ちはあります。みんなから信頼されたいとは思っていますが、山本の言うことを鵜呑みにしてほしくはありません。できるだけ押しつけないで、みんなが自分で考える力をつけてくれたら……と思っています。(1999/12/7)



 文句を言ってください

   中2の授業の後、ある人が山本のところに来て
   「授業の説明が速い。今から考えよう、としているときに
    次に進んでしまう」と言いました。
   こういうことを言うのは勇気がいると思いますが、
   こちらはとてもありがたいです。
   山本はもともとせっかちになりがちで、
   どうしても速くなってしまうことがあります。
   その時に(授業の後ででも)言ってくれたら、
   速かった分をなんとかすることができます。
   どうか、どんどん文句を言ってくださいね。
 


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