仲直りへの遠い道のり


 山本はけっこう無神経な人間で、他人を傷つけたことが何度もあります。
 6年前 学校の教師をしていましたが、その学校には理科室の整備や実験の準備などをしてくれる助手の人が2人いて、グチを聞いたり相談にのってもらったりしていました。
 4月のある日、中1の生徒に、実験道具などでイタズラをしないように注意するとき、山本は
 「みんなが悪いことをすると、あのおばさんたちにしかられるから、気をつけなさい」と言ってしまいました。
 授業の後、それを聞いていた助手の人から
 「私は"おばさん"ではない。私をだしにして生徒に注意するなんて許せない。あなたは先生を辞めるべきだ。校長先生に話して抗議する。」と言われました。
 話を聞きながら山本は青ざめ、涙が出てきました。自分が言ったことがまちがっていたのは、言われてすぐわかりました。でも、その人をどれだけ傷つけたか、彼女がなぜそれほど怒るのか、よくわかりませんでした。山本にとっては、人の心を傷つけてしまったことの重みを実感できたことが、ショックでもあり貴重な経験にもなりました。
 結局他の先生にとりなしてもらい、校長先生への抗議はなしになりました。自分の無神経さ(今でもある)をのろいながら、山本はその人と仲直りをすることもできず、ただその人に近づかないように逃げ回っていました。あやまってすむような雰囲気ではなかったのです。
 「根本的なお詫びの方法は、自分の無神経さを自己批判して直すことだ」とわかっていても、自分の傲慢さ・無神経さは人に言われないとなかなかわからないもので、難しいのです。
 山本にできることは、その人の役に立てる数少ないチャンスを探すことでした。理科室で会議があるときはその人の代わりにお茶を入れ、お茶碗を洗いました。理科室からものを運ぶときは、できるだけその人の分まで運びました。でも彼女は話しかけてくれませんでした。
 "事件"から半年たったある日、1階の印刷室から4階の理科室までプリントを運んでいる彼女を見つけ、手伝いました。
 2人で黙って理科室まで紙を運んで、山本が帰ろうとしたとき、「ありがとさん」と小さい声で言ってくれました。
 それだけのことでしたが、少しだけ許されたような気がして、背中の上の荷物が軽くなった思いでした。
 それから後もその人と話すことはありませんでした(まだこわかった)が、この人からは大きなことを教えてもらいました。……といっても山本の無神経さが治ったわけではありませんが、自分の言動がどれだけ他人を傷つけることがあるかということを思い知らせてくれたという意味で、今でも感謝しています。
 人と人とが仲良くなれるのは、結局はお互いの思いやり次第です。相手のことをどれだけ考えられるか、自分と相手が幸せになる方法を考えて実行できるか、そこに他人とうまくやっていくカギがあると思います。みんなの年齢であれば、ケンカをしてそこから仲直りする方法を考えるのも、とてもいい勉強になるでしょう。いい友人をつくってほしいと思っています。
 もちろん山本も、みんなへの思いやりを持っていたいです。来年もよろしく。(1999/12/21)


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