はたらくことの喜び

 ある中学の文化祭に呼ばれていきました。
 中学生だけの文化祭は前の日に終わっていて、この日は近所の小学生を呼んで、前日の劇のビデオを見せたり、食べ物の店を出したりしていました。自転車の整理や食べ物の指導で、たくさんのオトナもはたらいていました(ご苦労様でした)。
 店ではたらいているみんなは、塾で見るいつもの顔とはちょっと違う感じでした。ホットケーキを焼いている人、風船細工を作っている人、イカ焼きにソースをかける人、フランクフルトの呼び込みをしている人、裏方として雑用で忙しい人、などなど、とても真剣ないい顔をしていました。お客として来ている生徒もいましたが、お店で仕事をしている人の方が生き生きして見えたのは、山本の気のせいではないと思います。

 はたらいていて一番気持ちがいいのは、きっとお客から「ありがとう」と言ってもらえるときでしょう。人の役に立つ、気持ちいいつながりをつくるのは、他のことでは得られない喜びだと思います。そういう経験をしてはたらくことの喜びを味わえる人は、幸せです。
 世の中には「食べるために、生活するために、楽しくないが仕方なくはたらいている」と言うオトナもいますが、そういう人はソンをしていると思います。どうせはたらくのなら、自分の持っている力や才能を使って人の役に立つことで、みんなには大きな喜びを味わってほしいです。

 教師という仕事は、"ありがとう"を言ってもらいやすい仕事かもしれません。入試が終わって卒業していく生徒から「ありがとうございました」という手紙をもらったことが何回かありますが、それは山本の宝物です。手紙でなくても、いつものチェックシートで「授業がわかりやすかった」「実験が面白かった」と書いてもらえると、仕事をしていく上で大きな励みになります。
(まあ、力不足だからいいことばかりではないけどね。迷惑をかけていることもありますね)
 別の仕事をしていたこともありますが、その時はこういう喜びはなかなか味わえませんでした。本当はどんな仕事でも誰かの役に立っているはずなのですが、それがわかりやすい仕事とそうでない仕事があるのでしょう。
 でも中学生の時にはたらく喜びを味わった人は、オトナになってどんな仕事についてもその喜びをほしいと思うだろうし、そう願うことでよりよい仕事ができるようになるでしょう。みんなにそうなってほしいし、今している勉強がいい仕事をするための役に立つことを信じたいです。

 勉強をしても、誰かに「ありがとう」を言ってもらえることはありません。でも本当は、勉強をして自分の隠れた才能を見つけられたとき、見つけてもらった自分の新しい力(才能)が、あなたに「ありがとう」を言っているのかもしれません。
 ホットケーキがうまく焼けるようになったとき、投げられなかった変化球が投げられるようになったとき、解けなかった問題が解けるようになったとき、今までと違う新しい自分が、あなた自身に"ありがとう"を言ってくれるのではないかと思います(キザかなあ)。
 人の役に立てる、そして自分の役にも立てる人になってほしいです。(2002/10/7)


 先週の「会議」

   「関西科学教育フォーラム」という集まりに行きました。
   理科の先生が集まって、教科書や授業をどう変えていくか相談する会議です。
    新大阪の豪華なホテルで、緊張してしまいました。
   水素の爆発実験をしたり、オーロラのビデオを見たり、なかなか面白かったです。
   「理科ぎらいができるのは理科教師の責任だ」
   「どんな子にも学問の面白さを教えられるはずだ」
   などなど、きついけどもっともことを聞いてきました。
   今よりもっとわかりやすくて面白い教科書をつくっている先生が
   「がんばります」と言っていました。塾で使えないかなあ。
   もっとたくさんの理科の先生が、面白い、わかりやすい授業のために
   知恵を絞ってほしいと思います。みんなの学校の先生にも。
 



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