クラブの思い出

 気分を変えて、山本の昔の話をしてみましょう。

 小さい頃はぜん息持ちで体が弱く、学校をよく休んでいました。体をきたえるために、親に言われて色々なことをさせられました。朝早く階段を走らせたり、乾布まさつをしたり(冬でも上半身裸になって、タオルで体をこする)、ニンニクの薬を飲まされたり、スイミングスクールに通わされたり……。おかげで少しずつ体が丈夫になり、小6のときには皆勤賞をもらいました。義母の厳しさに感謝、かな。

 小4になってクラブを選ぶときも、とにかく体を丈夫にするためにと、半ばムリヤリに水泳部に入れられました。スイミングスクールに3ヶ月通って、きびし〜い先生についても25m泳げなかっただけに、水泳部に入るときは「いやだなあ」という感じでした。それが顧問のやさしい女の先生のおかげで、1ヶ月もたたないうちに50m泳げるようになりました(ホントに先生次第やなあ)。5年生からは試合にも出られるようになりました。6年生で平泳ぎの選手になり、1日3kmくらい泳ぐこともありました。そんなに速くはなかったけど、友だちがたくさんできて楽しかったのを覚えています。

 中学校になると今度は母が「仲間と力を合わせてやるスポーツをしなさい」と言い出して、サッカー部に入ることになりました。チームは結構強くて、名古屋で3番になったこともありましたが、山本自身は足が遅いわ、けってもボールが飛ばないわで、最後まで補欠でした。練習はしんどいばっかりで、サッカーを楽しむという感じはあまりありませんでした。ディフェンダー(守備)をやっていましたが、普通にやっていては相手に抜かれてばかりなので、反則すれすれのスライディングをよくやりました。おかげで練習中に相手を転ばせて、鎖骨を折ったりケガをさせたりと散々でした。今から考えると、よく仲間に嫌われなかったなあと思います。それでも中3の11月までクラブを続けていたので、最後には試合に出してもらいました(お情けかいな)。

 高校に入る前の春休みに、テレビで「春高バレー」を見て、サーブを打っている人があんまりカッコよかったので、今度はバレー部に入りました。バレーなら相手に直接さわらないので、相手にケガをさせる心配もないだろう、というわけです。背も低いしジャンプ力もないので、アタックを打つのは最初からあきらめていました。ピンチサーバーといえば聞こえはいいけど、要するにまた補欠です。
 このチームも結構強くて、あちこちに試合に行きました。試合中はただ応援をするだけですが、帰りに友だちとしゃべりながら寄り道をしたりラーメンを食べるのが楽しみでした。

 高2の夏にひざのケガをして、走れなくなりました。医者に通いながら練習していましたが、引退する少し前に、医者と話をしました。
 「今は練習しない方がいい。治すことに専念しないと、一生痛みが残るよ」
 「あと少しで引退だから、練習させてください」
 結局ムリをして最後までクラブをやりましたが、ひざはその後悪くなり、大学に入ってから手術することになりました。今でも雨の日や寒い日はひざが痛んで、ひどいと歩けなくなります。

 大学に入ってからは、色々なクラブに体験入部しました。カヌー部(琵琶湖に行って練習する。うまく乗れると気持ちいい)、ヨット部(バランスを採るのが大変)、合唱団(歓迎の歌を歌ってくれた……のに)、「そとばこまち」(プロの役者になる人もいる本格的劇団。留年覚悟でやれと言われてやめた)、などなど。でもバレーに対するなごりみたいなものが抜けなくて、結局また大学のバレー部に入ることになりました。

 大学のバレー部は、きついところでした。軍隊式というのか、先輩の言うことはいちいち復唱する、OBが来てやたらといばる。練習が厳しいのはしかたないけど、納得できない命令を頭ごなしにされるのには我慢できませんでした。そういうクラブで鍛えればたくましくなるという人もいますが、山本は今でも「体育会系クラブ」にはなじめません。
 結局ひざが悪くなって、大学1年の夏休み前にバレー部もやめてしまいました。夏休みにひざの手術をしたこともあって、さすがにもうスポーツクラブは終わり……という気分になりました。

 色々なクラブをやりましたが、本当にスポーツを楽しめるようになったのはクラブをやめてからです。うまくなること・試合で勝つことも大事だけど、何よりスポーツの楽しさを味わえないと、クラブをやっている意味はあんまりないような気もします。みんなはどうでしょうか。(2002/10/21)


 先週の「お葬式」

   先週の月曜日、おばあちゃんが94才で亡くなりました。
   山本が小さい頃とってもかわいがってもらいました。
   病気でもなく、自然に食欲がなくなって"老衰"で亡くなったようです。
   キリスト教のお葬式は初めてでしたが、集まった人の思いはどんなお葬式でも同じです。
   聖歌を聴きながら、棺の中に入っているおばあちゃんの顔を見ていると、
   昔の印象とはやっぱり違っていて、やせて小さくなっているのが悲しい。
   最後のお別れを……と言われても、亡くなってしまった人に何を言ってもむなしい。
   生きているうちに、もっとおばあちゃん孝行をしておけばよかった。
   「孝行したいときに親はなし」とはよく言ったものです。
   今の山本にできるのは、"妻孝行"と"生徒孝行"かな。生きている人のためにがんばらなきゃね。
 



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