ノーベル賞を考える

 先月の9日と10日、続けて日本人のノーベル賞受賞が発表されました。同じ年に日本人が2人受賞するのは初めてです。
 小柴さんと田中さんがどんな研究をしたかは別に説明するとして、ここではノーベル賞がどんな賞なのか考えてみましょう。

 アルフレッド=ノーベルは、ダイナマイトを発明した人です。ダイナマイトというと戦争などで使われるイメージがあるかもしれませんが、トンネルを掘ったり工事をしたりするのにも使われる大切なものです。
 ダイナマイトが発明される前は、爆薬となるニトログリセリンを直接使っていました。この物質は振動や衝撃だけで爆発することがあり、とても危険なものです。ノーベルはお父さんの経営する火薬工場で働きながら、ニトログリセリンを安全に扱う方法を考えていました。弟が爆薬の事故で亡くなったこともあり、色々な方法を工夫していました。そして特別な土にニトログリセリンをしみ込ませると簡単に爆発しなくなることを、ある日とうとう見つけました。こうしてダイナマイトを発明したのです。(ちなみにニトログリセリンは心臓病の薬でもあり、ノーベル自身年をとってからニトログリセリンを飲んでいたそうです)

 ノーベルはダイナマイトの発明の他に会社の経営などもして、大金持ちになりました。しかしダイナマイトは、人殺し=戦争の道具としても使われました。はじめノーベルはそのことをあまり気にしていませんでしたが、彼の秘書が平和運動家であったことや、新聞記事で「ダイナマイトで大儲けをした死の商人アルフレッド・ノーベル氏」と書かれたことから、考え方が変わってきたようです。
 自分の発明したダイナマイトのせいで多くの人が死んでいくことは、ノーベルにとって心の重荷になっていきました。そこで、ノーベルはこのような遺言を残しました。
 「自分の財産をもとにして基金を設立し、その利子を毎年、人類のためにもっとも貢献をした人に賞として与える。」
 「この利子は、物理学で最も重要な発見ないし発明をした人(物理学賞)、化学で最も重要な発見ないし発明をした人(化学賞)、生理学ないし医学で最も重要な発見をした人(生理医学賞)、文学で理想主義的な最もすぐれた作品を生み出した人(文学賞)、国家間の友好と軍隊の廃止ないし削減と平和会議の開催ないし推進の為にもっとも尽くした人(平和賞)に与える。」
 この遺言をもとに財団が作られ、1901年からノーベル賞が与えられるようになりました。1969年にノーベル経済学賞が新設され、今では6部門になっています。
 授賞式はノーベルの命日12月10日にストックホルムで行なわれ、受賞者は金メダルと賞状、賞金の小切手を受け取ります(現在の賞金は1億3000万円)。
日本人のノーベル賞受賞者
1949年物理学賞  湯川秀樹    核力理論による中間子存在の予言
1965年物理学賞  朝永振一郎   量子電気力学分野での基礎的研究
1968年文学賞   川端康成    小説「雪国」など
1973年物理学賞  江崎玲於奈   固体におけるトンネル効果の研究
1974年平和賞   佐藤栄作    
1981年化学賞   福井謙一    化学反応過程の理論的研究
1987年生理医学賞 利根川進    抗体生成の遺伝的原理の解明
1994年文学賞   大江健三郎   小説「個人的な体験」など
2000年化学賞   白川英樹    導電性プラスチックの発見と発展
2001年化学賞   野依良治    触媒による不斉反応の研究
2002年物理学賞  小柴昌俊    宇宙ニュートリノの検出への貢献
   化学賞   田中耕一    タンパク質の質量分析法の開発
※経済学賞は受賞なし

 このようにノーベル賞とは、人類の平和と幸福のために貢献した人に対して贈られるものです。しかし逆に「人類の平和と幸福に貢献した人がすべてノーベル賞をもらっている」とは限りません。発明王エジソンも、コンピューターの理論を作ったシャノンも、ビタミンB(脚気という病気の特効薬)を世界で初めて発見した鈴木梅太郎も、足尾銅山の鉱害に命をかけて立ち向かった田中正造も、ノーベル賞をもらっていません。
 太平洋戦争の末期、日本に落とされた原子爆弾によって、数十万人の人が亡くなりました。現在、世界中の人を何十回も殺せるほどの核兵器(原子爆弾や水素爆弾など)があります。このような原子爆弾をつくるのに協力した科学者にも「核兵器は戦争をやめさせるために有効な兵器である」という理由で、ノーベル賞が与えられています。みんなはこのことについてどう思いますか?

 ノーベル賞をもらった人が研究で大きな実績をあげたことはまちがいありません。しかしそれがどういう意味を持つのか考えずに、ただ「ノーベル賞を取ったからえらい」というのは、賛成できません。専門的なことはわからなくても、おおまかにどんなことを研究しているのか、どんなことがわかったのか、それによって人間がどう賢くなったのか、みんなにも考えてもらいたいです。

 小柴さんのチームがニュートリノを観測するためにつくった「カミオカンデ」は、3億円以上のお金をかけて建設されました。このお金は税金から出ています。小柴さんはいわば私たち国民の代表として、みんなの分まで研究をしているわけです。小柴さんは自分の研究について「まったく役に立たない」と言っていますが、本気でそう思ってはいないだろうし、すぐ何かのトクにならなくても、みんなが賢くなることで立派に役に立っているはずです。そのためにも、研究者がどんなことをしているのかもっとよくわかるようにしてもらいたいし、山本のような教師も、みんなに科学の最先端を「知らせる」仕事をしなければならないと思います(勉強不足……)。

 田中さんの研究成果は、ちょっとした失敗から生まれました。研究材料を落としてしまい、混ぜるつもりのなかった物質を混ぜてしまったのです。それを捨てずに「これで実験してみたらどうなるんだろう?」と思ってやってみたのが、思わぬ発見に結びつきました。研究の面白さとは、こういう予想しない結果を見つけることでしょう。田中さんは本当に実験と研究が大好きで、研究に没頭するために会社の中での出世も断っていたそうです。好きこそものの上手なれということわざがありますが、本当にいい仕事は好きでないとできないのかもしれません。

 みんなと授業をしているとき「こんな実験をしたらどうなるの?」「こんなふうにしたらどうなるの?」という質問を受けます(今年はいのこ谷校の人の質問が特にすばらしい)。こういうツッコミ(好奇心)は田中さんのような発見にもつながるもので、とても大切です。学年が上がるとだんだんツッコミが減ってくるのが普通で、これは山本には残念です。本当に賢くなるためにも、こういう好奇心を大切にしてほしいです。成績を上げるためにも意味があるんですよ。

 失敗は成功のもとと言いますが、みんなの勉強でも同じです。何かをやってみてうまくいかなくても、「なぜ失敗したのか」「次にどうしたらいいのか」「この失敗から得られることは何か」を考え続ければ、その失敗から何かを得ることもできます。テストでも点数だけを気にするのではなく、どこでどう失敗したのかチェックすれば、失敗したことにも意味を持たせられます。これはぜひみんなにやってみてほしいことです。

 3年連続で日本人がノーベル賞をとったことはめでたいとも言えますが、それで日本人全体が賢くなったわけではありません。中2の数学・理科の成績は、世界41ヶ国の中で日本は3位でまずまずです(1995年の調査)が、自分の考えを表現したり新しいことを考え出す力になると平均以下です。さらに「理科がきらい」という中学生は世界で一番多いという悲しい結果も出ています。またおとなを対象とした調査では、「科学の知識」も「科学技術に興味のある人の割合」も日本は最低の部類に入ります(14ヶ国中13位)。一部の人がすばらしい実績を出したからといって、日本人みんなが喜んでいる場合でもないでしょう。さしあたり小柴さんが言っているように、理科が楽しいと教えるような中学の理科の先生をふやしていかないといけないと思います。

 世の中にはまだわからないこと、人間にできないことがたくさんあります。今のみんなの生活を支えている便利な道具や技術・そして科学の知識は、数え切れないほどたくさんの人の実験や研究の結果としてつくられたものです。ノーベル賞をきっかけとして、そういう人のことをみんなにわかってもらえたらいいなと思います。そして将来、人の役に立つような発見や発明をみんながしてくれたら、山本もうれしいです。(そのときはサインをくださいね……????)(2002/11/11)


 今週の「負け惜しみ」

   ノーベル賞をもらった田中さんは、
   京都の島津製作所という会社に勤めています。
   もう12年前になりますが、山本はこの会社の入社試験を受けました。
   試験といってもテストはなく、面接で
   「この会社でどんな仕事をしてみたいか」
   というようなことを聞かれただけでした。
   大丈夫かいなと思っていたら、合格。なんでやろ。
   11月はじめ、入社内定者が集まって
   健康診断などを受けるというので、再び会社に行きました。
   100人近くの入社予定者が集まっていましたが、
   知らない人が山本に次々と声をかけてきました。
   「君も○○大学なんですね。一緒にがんばりましょう」
   「君は何年(大学)卒業ですか?」
   どうも出身大学がわかっているらしい。
   山本は同じ大学出身で群れるのがきらいだったので、
   ちょっとイヤな感じがしました。
   また同じ大学出身があんまりたくさんいるので、
   学歴だけで入れてもらったような気がして、気持ち悪かったです。
   (本当のことはよくわからない)
   他にも色々事情があったのですが、悩んだあげく、
   結局入社を取り消してもらいました。
   大学と関係なしに、自分の力を試せる場所に行ってみたかったのです。
   もし島津製作所に入っていたら、もしかしたら、
   田中さんのようにノーベル賞級の研究をしていたかも???
   ちょっと残念……かな。負け惜しみかな?
 

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