子どものための世の中を

 11月9日に国会(衆議院)議員選挙があります。色々な政党(国会議員の集まり)が「この国をこんなふうにしますよ〜 投票してくださーい」という訴えをしています。(……名前ばかり叫んでいる人もいますが)
 みんなにはまだ選挙権(投票する権利)がないので、選挙なんて関係ないと思えるかもしれません。でもみんなの通っている学校をどんな場所にするか、みんなの暮らしている場所をどんな場所にしていくのか、みんなのまわりのオトナがどんな暮らし方をしていくのか、それらはすべて選挙で選んだ人たちが相談して決めているのです。みんなもオトナになれば選挙権ができるので、そのときのために、立候補している人がどんなことを言っているのか聞いてみるのもいいと思います。

 今回の選挙で政党が訴えていて、みんなに直接関係のあることには、たとえば「小学校や中学校を30人以下のクラスにします」「土曜の休みをなくします」「教育基本法を変えます」などがあります。土曜の休みをなくそうというのは、授業時間が減って学力が落ちているのを心配しているということでしょう。30人学級などはみんなのためにも絶対いいように思いますが、お金が問題なのでしょうか。みんなはどう思いますか?

 山本は今のみんなを見ていて、1つ考えることがあります。塾の講師がこんなことを言うのもどうかと思いますが、もっとみんなに遊ぶ場所と時間をあげたい、と思うのです。
 今から30年くらい前には、塾に通っている人は今の半分くらいでした。学校の宿題はありましたが、だいたい学校が終わると夕方日が暮れるまで友だちと遊んでいました。
 山本が住んでいたのは名古屋の郊外で、まわりには空き地も山も竹やぶもありました。ファミコンもゲームボーイもなかったけど、遊ぶ材料はたくさんあって飽きませんでした。捨ててあった廃材を使って河原に「基地」をつくってみたり、自転車で知らない場所へ遠乗りしてみたり、運動神経がなくて遊び下手でも楽しいことはありました。
 不思議なのは、そんなに遊んでいたのに、今より昔の方が勉強が難しかったし、勉強時間が長かったということです。自慢しているのではありません。色々な調査の結果を見ると、遊ぶ場所が減り外で遊ぶ子どもが少なくなるのと同時に、子どもの勉強時間が短くなり、勉強が好きな子どもが減っているのです。これは偶然ではないと思います。

 遊ぶことにはおそらく3つの意味があると思います。
 1つは「友だちとなかよくやっていく」ことです。わがままばかり言っていたら、友だちに嫌われて結局楽しく遊べません。ケンカをしたらどう仲直りするか、どうやってみんなで楽しく遊ぶか、これらを考えて工夫するのはとてもいい"勉強"になるでしょう。
 また自然にあるものをつかって遊び道具や遊び方を自分で考えるのも、大きな勉強になっていたように思います。

 そういう遊びの世界には、オトナの「こうしなさい」とか「こんなもので遊んでみたら?」という茶々がありません。仲間以外の誰にもしばられない、自由な世界が子どもにはありました。それは江戸時代の子どもにも、また同じほ乳類の子どもにもあるものです。遊びの世界で一番大切なのは、そういう"自由"かもしれません。今のみんなを見ていると、そういう自由な世界があまりなくて、言葉で表せないようなストレスがたまっているように思えて、少し不安です。

 勉強しなくていいとか塾がいらないとかいうことではなくて、「よく学びよく遊べ」でないと子どもはうまく育たないような気がするのです。みんなが自由に遊べる時間と空間をつくっていくことが、逆にみんなの勉強の支えにもなるように思います。そういうことを訴えている政党を山本は知りませんが、いつかみんながもっと自由に遊べてもっと勉強にも集中できるような世の中になってほしいなあ、と願っています。(2003/11/2)


 先週の「よかった」

   中2の数学は証明に入ってなかなか大変そうです。
   みんながんばって書いてくれていますが、
   チェックシートには「難しい」「わからん」が並んでいました。
   三角形の合同条件を教えるのに、画用紙とストローで"おもちゃ"をつくってみました。
   T校ではけっこう受けて、授業の前から「なんだこれー」などと言いながらさわる人、
   不思議そうに見ている人、果てはウチワ代わりにあおぐ人、色々でしたが、
   チェックシートには「よかった」という人がかなりたくさんいて、ひとまずホッ。
   こんな道具を使った人は、もしかするとみんなが世界ではじめてかも。
   ……まあとにかく、少しでも証明がわかるようになってほしいです。
 


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