音楽とのつきあい

 きっかけが何だったか忘れてしまいましたが、小2のとき親に「ピアノを習いたい」と言い出しました。あんまり友だちとうまくいっていなかったので、ひとりでできることを探していたのかもしれません。
 近くの音楽教室に聞いてみると、ピアノ教室はいっぱいで入れないけれどエレクトーン教室ならあいているとのこと。エレクトーンが何かも知らなかったのですが、まあやってみようということで習い始めました。最初は6人のグループレッスンで、家に楽器もなく練習もできず、ほとんど遊びに行っているようなものでした。普段とは違う友だちもできて楽しかったです(1人とは未だに年賀状をやりとりしています)。

 引っ越してからは先生が代わり個人レッスンになりました。エレクトーンというのは両手と左足で弾くので、1人でメロディーも伴奏も弾けます。テキストには歌謡曲やらロックやら童謡やら映画音楽やらジャズやらクラシックやら何でものっていて、色々な曲を弾きました。いいなと思うとレコードを買って元の曲を何度も聞きました。ビートルズやカーペンターズもそうやって覚えた口です。メチャクチャな英語で歌って友だちから笑われたりしていました。しんどい時には、自分の好きな曲を2時間くらい弾いて、気を紛らわせたりしました(ヘンなやつ?)。

 小5になってからは自分で好きな曲を選んで、楽譜を書いて練習するようになりました。聴いた曲を何でも弾けるようになるのは、クラシックピアノではできない芸当です。楽譜を書くのは大変でしたが、自分の弾きたい曲を弾けるようになるのはけっこう楽しかったです。中学生になると自分で曲をつくってコンクールに出たりもしました。あんまり練習熱心ではなかったので、全然ダメでしたが……。他の人の曲を聴いて「なんであんなに指が動くんやろ」などと思っていました。

 大学に入ると下宿住まいになって、エレクトーンを弾く機会がなくなりました。音楽をやりたいなあと思っている時、新聞に『全国でチャリティーコンサート 合唱をやりませんか?』という記事が載っているのを見つけました。全国ツアー? 歌うのも嫌いじゃないしいいかなと思って募集先の「奈良たんぽぽの家」に行ってみました。脳性マヒなど体に障害を持っている人が、勉強したり生活したりするための施設です。その施設をつくり維持する資金を集めるために『わたぼうしコンサート』というものをしているということでした。
 新聞には合唱と書いてあったのに、コンサートのレコードを聴いてみるとほとんどフォーク(『ゆず』を想像してください)。これが合唱かいな、と思って聞いていると「キーボードが弾けるの? ちょうどいいや。バンドに入ってよ。」 結局また鍵盤を弾くことになりました。
 障害のある人が書いた詩に曲をつけて、北海道から九州まで日本中に行って(なんと上海まで行きました)コンサートをしました。バンドには大学生からOL、看護婦さんなど色々な人がいました。夕方奈良に集まって夜中まで練習、その後朝まで飲み明かし、そのまま学校や仕事に行く。コンサートはたいてい日曜にあるので、土曜みんなで移動し向こうで泊まり、終わったらその日のうちに帰る。1年で40回舞台をこなしたこともあります。
 バンドの仲間は家族みたいなものでした。実際この中で結婚した人がたくさんいます(実は山本も……)。ひとり暮らしの山本にとって、わたぼうしコンサートの仲間は何よりも心の支えになっていました。山本は弾くのはたいしてうまくありませんが楽譜が書けたので、曲の編曲ができて役に立ちました。障害のある人の詩を自分が表現することの意味なんて、はじめは考えていませんでした。ただみんなの中にいて、自分のいることに意味があるのがうれしかったのです。

 大学院に入っても"わたぼうし"を続けていましたが、少しずつ「これでいいのか?」という気持ちが出てきました。自分にはこの歌詞がわかっているのか? 歌詞を書いている人の気持ちがわからないのに、舞台でえらそうに弾いていていいのか?
 自分がやりたい音楽って本当は何なんだろう? そういう話が通じない仲間へのいらだちもありました。一緒にやっていた仲間が就職や結婚で離れていったこともあって、続けているのがしんどくなってきました。5年目の年末、大阪コンサートを最後にしようと思って、1週間大学院も塾のバイトもサボって楽譜書きと練習に打ち込みました。1日2回公演が終わった時、舞台にへたり込んで、ずっと一緒にやってきたピアノの"お姉さん"と抱き合って泣きました。あの時の気持ちは言葉にできません。
 それで『わたぼうし』からは離れることになりましたが、音楽へのこだわり、自分の音楽をつくってみたいという気持ちは消えませんでした。

 大学を出て大学院に入り研究者になろうとしていたのですが、山本のアタマでは無理らしいということがわかり、自分のやりたいことって何だろう……と悩んでいました。24才の時です。
 前回書いた『わたぼうし』の仲間に誘われて、京都駅の近くにあるアン・ミュージックスクールという音楽の専門学校を見学に行きました。「プロになるのは厳しいけど、音楽は楽しいよ」。なんだかよくわからない話を聞きながら、スタジオで練習している人の熱っぽい顔にひきつけられました。もっとうまく弾けるようになりたい。自分の歌をつくってみたい。プロになれるかどうかはわからないけど、気がすむまで音楽をやってみたい。舞台の上で思いっきり弾いた時の、頭のしびれるような気持ちをもっと味わいたい。

 親に話すとさすがに驚かれましたが、まあやってみなさいとOKをもらいました。出世払いで親に学費(年間40万くらいだったかな)を出してもらい、生活費は塾(京都の塾ですよ)のバイトで稼ぐことにしました。こうして『大学院中退の専門学校生』になりました。
 お昼前に起きて学校に行き、2時間ほどスタジオにこもってピアノと発声の練習。夕方塾に行って授業をし、夜中に下宿に帰る。キーボードの他に録音機材を買って、自分でつくった歌(ポップスというか、ピアノの弾き語りみたいなもの)を録音していきました。最初の1年で40曲くらいつくって、テープに入れて友だちに配りました。まわりの反応は「面白い歌だけどねえ……」「ノドが弱いんじゃない?」「ちょっとありふれてるかなあ、よくできてるけど」等々。

 学校では、歌と発声と作曲の授業を受けました。歌の先生は当時NHKにも出ていた人で、「山本君! もっと思い切って口を開けて歌いなさい」とよく言われたなあ。発声の先生は同い年の男の人で、音大を出てオペラをやっている人でした。「毎日毎日仕事でやっていると、『音楽』が『音が苦』になるんだよ」なんていう話も聞きました。作曲の先生は色々な音楽を聴け! というのが口癖でした。短歌を歌詞にして曲をつくったり、民族音楽で踊ったり、よくわからないことをさせられましたが、レンタル屋でCDを借りまくって聞いたのは、いい勉強になりました。

 学校に来ていたのは、14才の中学生から(とびきりギターがうまかった。彼はどうしてるだろう)50過ぎのおじさんまで、一番多いのは高校卒業から20才過ぎくらいの若い人でした。ほとんどの人がバイトをしてギリギリの生活をしながら練習していました。山本から見ると、何が何でもプロに! という意気込みを持っている人はまぶしくて、一緒にいるのが申し訳ないくらいでした。

 2年目になると、プロになれるようなこだわり(才能ではない)が自分にないことがわかってきました。塾のバイトの方が面白くなってきて練習もサボリがちになり、曲も作れなくなってきました。ライブハウスで歌ったこともありましたが、わたぼうしの時のように"何も考えずに思いっきり"ができなくて、受けなかったらどうしようとか、目の前で聞いている人が何を考えているんだろうとか、余計なことばかり頭に浮かんで集中できませんでした。自分の歌に自信が持てなかったのです。
 結局3年目の途中、塾の仕事にのめり込みすぎて体をこわし、親とも相談して就職することになりました。学校をやめる時、小さなホールを借り学校の仲間にバンドを頼んでコンサートをしました。自分なりに卒業というか、けじめをつけたかったのです。塾の生徒や友だち、全部で70人くらい来てくれました。3年間がムダでなかったような気がしました。

 普通の人にとって音楽は"楽しみ"とか"趣味"なのかもしれませんが、山本にとっては音楽は"気持ち"です。自分の気持ちを歌にして誰かに伝える。自分の気持ちを代弁してくれる歌を何度も聞いてのめり込む。ラブレターの代わりに曲を作ったことも、卒業する生徒のために曲を作ったこともあります。今でも中3の卒業祝賀会で、卒業する生徒のために歌っています。
 へたくそな歌うたいですが、みんなにもいつか機会があれば歌を聴いてほしいです……(2003/12/1)
歌詞が見たい人は詩の世界へどうぞ


 先週の「不思議な石」

   中1理科の授業で、石の勉強をしているとき、
   石の実物をとても熱心に見ている人がいました。
   欠けた石の破片を持って帰りたいというので、袋をあげました。
   次の週 別の人が「家にこんなのがあった」といって、
   茶色の六角柱の結晶を持ってきました。
   買えば何千円もしそうな珍しいもので、みんなで見せてもらいました。
   授業の中で、不思議なもの・面白いものを見て興味を持てるのは、
   とてもいいことです。
   また自分で面白いなあと思うものを持ってきてくれるのも、ありがたいです。
   これからも色々なものを見て「面白いなあ」という気持ちを持ってほしいです。
   石以外でも"不思議なもの"を持っていたら、見せてくれるととてもうれしいです。
 


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