後味の悪い結末

(2008年3月12日) 前回の続きです

 今日は朝早くK工業高校の門前激励に行った。
 駅からの長い上り坂を登って、高校の入り口で3人を待っていた。
 前の日記に書いた○○君の他に、成績がかなりきつい2人。一番受かりそうにないメンバーだ。
 しばらく待っていたが来ないので、学校の中に入ってみた。中庭に大勢の受験生が集まっていて、きょろきょろ探したが見つからなかった。
 そのうちに入り口の方から3人が歩いてきた。○○君はさすがに最初からバツが悪そうだった。
「先生、どうもすみませんでした」
「今は何にも言わない。あとで△△先生に電話してお詫びしなさい」

 怒るでも励ますでもなくそう言って、家から持ってきた合格消しゴムを渡した。
 3人が不器用に上履きに履き替えてから校舎の中に入っていくのを見送って、博多に帰って喫茶店で久しぶりにコーヒーを飲んだ。

 この数週間は我ながらよく働いた。
 打ち上げの準備で歩き回った1日を含めれば、丸1ヶ月休みなしで授業や補習をした。家にある実験道具を電車で持ち運んで、いくつかの実験はけっこう面白がってくれた(はじめてつくったクリップモーターを見せると、××君はおもしろがっていじってこわした)。何度も終電まで生徒の質問につきあって、生徒のお母さんに駅まで車で送っていただいたこともあった。体も何回か悲鳴をあげたが、なんとかもってくれた。
 10日の最後の授業では授業の後でいつもの歌を歌い、感動してくれた生徒もいた。アンケートでもありがたいコメントをたくさん書いてくれた。一緒に働いていた国語の先生からもお手紙をいただいた。
 ……だというのに昨日のこともあって爽快感はまるでなく、疲れているはずなのに喫茶店から帰っても眠いでもなく、家でゴロゴロしながら頭の中のモヤモヤをもてあました。

 仕事にのめり込むほど、体力や気力の衰えと、ほとんどあらゆる意味での自分の勉強不足を思い知らされた。
 カウンセラーは「完璧主義だ」と言うのだが、実際私の生徒の合格率は(労働量・勉強量の割合に比べれば)高いとは言えない。私を信頼して必死に努力してきた子の成績が伸びないとすれば、それこそすべて私の責任であって、あやまってもすまない。
 昨年まであまり感じなかった自分の能力不足を痛感したのは、それだけ必死にやった証拠なのかもしれないが、今は真剣に「教えること」について勉強し直したい。我流のかたまりのような自分のやり方を全部点検して、足らないところを補う努力をしたい。
 そんなふうに思えたのは随分久しぶりだ。実は子どもより俺が一番「サボって」いたのかな……。

 無職になった今 これからどうするかまだほとんど考えていないが(治療優先にするつもりではあるが)、もし教える仕事を続けられるのなら、自分にとって勉強できる材料(研修の機会など)が多くありそうなところに行ってみたい。
 明日は若い先生の授業見学をして、アドバイスをするつもり。彼にしてあげられるのはあとそれくらいだ。きっと私の勉強にもなるだろう。(2008/3/16)


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