イラクに行かなかった人の自己責任

 イラクに行って拘束されたフリージャナリスとの渡辺修孝さんの講演を聴きに行った。講演の詳しい内容については別に述べたい(こちらを参照)が、彼の話し方には迫力と説得力があった。
 疑いようのない事実は「アメリカ軍が無実のイラク人を大量に殺している」ということである。これをアメリカによる国家テロと呼ぶかどうかは大きな問題ではない。要するにアメリカは911事件の犯人と同じレベルに成り下がった(というより前からそうなっている)のである。アメリカが民主国家であるなら国家の行為の責任は国民にあるから、アメリカ人は全員「人殺し」である。
 そしてこの日本は、アメリカの行為をほぼ全面的に支持し続けている。アブグレイブの事態に対してはさすがに非難めいたことを言っていたが、アメリカ軍の軍隊的行為(=人殺し)そのものについて日本政府が非難したのを私は知らない。
 4月末に渡米した安倍自民党幹事長は、アメリカでの演説で、イラク戦争について米国を支持した小泉首相の姿勢を「同盟の神髄」と表現し、さらにイラクへの自衛隊派遣の意義を「日米同盟が単なる『紙』でなく、安保条約に裏打ちされた強い絆で結ばれていることを実証した」と強調したという。ここまで言うのであれば、アメリカ軍が数千のイラク人を虐殺しようが、その行為を支持していると言わざるを得ない。
 イラク人から見れば、安倍氏は「人殺しの手先」自衛隊は「人殺しの手伝い」日本人は「人殺しの支持者」である。
 日本が仮に「軍隊による自衛権」を認めているのならば、イラクの人々が「自衛」のために、日本で安倍氏を「攻撃」することも、もはや立派な「自衛権の行使」となるだろう。私がこういう事態を望んでいるのではない。安倍氏が自らイラクでの殺人を支持し、侵略者の片棒を担ごうとしているのだから、彼が狙われるのはほとんど彼の意志によるものである。こんな発言をした安倍氏、そしてこの発言を聞き流し問題にしない我々国民が攻撃されても、客観的に見ればほとんど自業自得になってしまう。
 イラクの元人質の「自己責任」が問われていたが、彼ら彼女らはイラク人に貢献する意志を表明した点で、我々イラクに行かなかった日本人より「人殺しから遠い」分だけむしろ安全であり、だから解放されたとも言える。私たちはこの国が民主主義であることを認めるならば、自らが「人殺し」を支持し続けていること、その「自己責任」がいつか自分の上に降りかかってくるかもしれないことを意識するべきだ。
 私たちがイラクのことを忘れることができても、イラクで殺された人々の家族が、殺されたことの重みを忘れられるはずがない。私たち人殺し支持者に、テレビや旅行を楽しむ権利は本当にあるのだろうか。殺人を犯した小学生にいのちの尊さを訴える力が、私たちにあるだろうか。私にはわからないのだ。(2004/6/6)


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