運命の10年

 インターネットを始めたのは6年前だが、それまではコマのように働いていて、塾のこと以外に何かに関心を持つ余裕がなかった。企業戦士ではないつもりだが、仕事が好きで仕事の中にはまりこんでいた。
 少し時間ができてニュースやネット上の情報に接すると、世の中の流れを感じるようになった。国旗国歌法、新ガイドライン法、有事法制、北朝鮮問題、そしてイラク戦争と海外派兵…… 以前のように働き続けていたら、こういうことに対して知識はあっても、感覚として切迫したものはなかっただろう。
 日本で最もパワーのある人の多くは、かつての私のように仕事や家庭生活で忙しくて、政治や外国のできごとに主体的に関わる余裕がないのだろう。これほどあからさまに憲法が無視され政治が暴走しているのに、ストライキもなければ外国のような規模のデモもないのは、日本人が無知だからではあるまい。おそらく日々の生活に追われてそれどころではないのだ(それともあきらめているのか?)。日本はそれほど貧しい国なのか。
 自民党も民主党も改憲の日程を出している。あと数年のうちに憲法の改定が現実の問題となるだろう。現在の憲法が(9条に限らず)遵守されているとはとても言えないが、そのような「守られていない」憲法をも変えようというのは、現実あるいは未来を現憲法の理念からさらに遠ざけようとするものだ。これに対してどう考えるのか。今国民投票を行ったら、どんな結果が出るのだろうか。
 9月11日はアメリカのWTCビルに旅客機が突っ込んだ日だ。記念イベントや平和を祈る集い、テレビドラマまで用意されているらしい。しかし人殺しが本領を発揮したのはこの日だけではない。現在に至るまで、ほとんど毎日のようにイラクで人が殺されている。アフガンとイラクでアメリカ軍が殺した数は、もはや9・11の比ではない。なぜ9月11日を特別に扱うのか。殺された者を国や立場で差別する「人殺しの論理」になぜついていくのか。(この事件がアメリカ自身の関係した謀略だという説もある。なぜ国連はアメリカを調査しないのか?)
 テロと戦うと言いながら自ら国家テロを行うアメリカ、そしてその人殺しを支持し軍隊を派遣する日本。マスコミの取材が制限されている今、自衛隊がイラクの人々を殺していないという証拠さえない。どれだけ人道支援といっても、軍隊の本質は人殺しだからだ。2月16日にイラクに向かう護衛艦「むらさめ」が横須賀を出航するとき、軍艦マーチの鳴り響くなか、玉沢元防衛庁長官が「皇国の興廃この一戦にあり」と叫んだ(新聞でもほとんど報道されなかったらしい)。こんな組織が人殺しをしないという保証ができるか。
 戦争は経済行為だから、金儲けのために戦争をしたい人は常にいるし、この国でもそういう人々がずっとチャンスをうかがってきた。少しずつ、しかしあらゆる機会を利用して、人殺しを正当化するための努力が続けられてきた。そしてこの10年が、これからのこの国の方向を決める大きな曲がり角になるように思う。アメリカの大統領が誰になろうと、この国の方向が大きく変わることはないだろう。アメリカについていくしかないという声がどんなに大きくても、自分の国の運命は自分たちでしか決められない。あきらめる必要はないが、あきらめれば人殺しに巻き込まれるだけだ。(2004/9/11)


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